2012年3月10日土曜日

フリースポットのSyslog集計 不具合

フリースポットにはバッファロー社によるSyslog集計サービスがついている。フリースポットのMACアドレスをフリースポットのOwner用のホームページにて打ち込めば、通常サービスであれば月ごとの利用述べ時間、利用者数、述べ利用者数を記録してくれる。また、暫定無料で(本当は有料とのこと)、時間ごとのアクセス件数を記録してくれるサービスである。
わが社ではなぜか、この件数集計がうまくいかないことが発生する。しかし、カスタマイズSSIDを立ち上げたりすると、突如として直ったりする。そして、そのカスタマイズSSIDをオーナー用SSIDに切り替えたりすると、またもや集計されなくなってしまう事例が発生した。あまりあてにできるサービスではない…。わが社の環境では、そのほか、『なにもしていないのに突如としてSyslogサービスに計上されなくなってしまう現象』がありこれはたいがい『管理画面から再起動』で直るが、『お客さんが故意にAOSSボタンを押してしまい、フリースポットが赤い点滅を繰り返していたので、電源を切った』事例では、私が行って復旧後、4時間後にSyslogサービスとの通信が切れてしまった現象があり、これは未だに解決していない。
これらは、すべて上位ルータにBBR-4HGを採用している箇所で発生している(直接PPPoEでプロバイダにつないでいるところは一箇所のみ)。環境的にはこれしかわかっていない。
バッファロー社のサポートにも連絡し、その都度指示を仰いでいるが解決できる目処も立っていない。なんだか、初めて聞いた現象とのこと。現象発生の際にミラーポートを備えたHUBを上位側に挿入し、スニッフィングして欲しい、と頼まれているがふつうこれ一素人に頼むことじゃないだろ。おれは一応できるけどさ。こんなことじゃ解決しないだろうけどまあやってみるか。こんなことをしても『本体からログサーバーにあてたパケットは出ていませんでした。原因は不明です。』となるのがオチのような気が。

2012年3月6日火曜日

インターネット放送に意見する

帰りの電車が来ない。なんとも、山で鹿と衝突したそうだ…。ということで、駅の近所のホテルのアクセスポイントに乗り込んで打ち込み中。
本日の産経より
震災の際UstreamでNHKのニュースをネットで流したのは、広島市の中学生だったそうだ。彼は当然違法性の疑いがあることは認識していたが、それでもなお、『配信によって救われる命があるのではないか』と考えた、とのことである。
内心、びくびくしていたらしかったし、Ustreame社も『違法性の認識』があったが、この時は『放置』とし、さらに懲戒免職覚悟でNHK広報がツイートする。これによって社会に『公認』されたのであった。
確かに、刑法も民法も法適用の例外、超法規的措置や違法性の阻却事由を定めている。これが一般市民の意識レベルで機能した例である。
私もそういえば、帰宅難民となり志願して職場に待機中にAndroidでRazikoを聴いて、情報収集したことがあったな。まだ、自分のいるエリアではRadikoが開始されておらず、構わずRazikoを使用しニッポン放送に『こんなときだからエリア開放しろ。』と意見を言ってみたら、すぐに対応してくれた…。私の意見が効いたかどうかはまったくわからないが。
日本は変な『権利関係』を想像上作り上げるきらいがある。Radikoがエリア外で聴けない、なんてものも最たるものではないのか。結局、その『権利関係』を守りきれずに破綻、なんてことになりそうな予感がすごく匂っている…。

それに、県域のIPエリアと実際の放送区域は一致しないことに問題がある。県の中部地域まで関東の放送を聴けるところが、Radiko上では関東圏ではない、ということを『権利者』はどう考えているのだろう。

さらに、考えを進める。既存放送局はいわば著作権関係の『権利』に守られているが、インターネットで放送を実施するとなるとたちまちのうちに『権利者』の反感を買い違法だと騒がれ損害賠償の対象となってしまう。

インターネット時代になったからこそ、インターネット放送局の法的整備を要求するべきではないのか。情報インフラはすなわち放送インフラとなるのであって既存の放送局だけ(radiko)を守るものではなく、もっと自由にインターネット放送局の参加を促すことが総務省の役割ではないのか。国はどこでもそうだが、業界団体の言うことを聞きすぎていて一般消費者や世論、弱者の言うことには疎いようである。かつて国関係の経験者だからこそ厳しく申し上げる。国の業界偏向は昭和よりも平成になってから一層進んだ。

とはいっても、Razikoは好きなんですが。日曜日の午前中は大阪の放送局(つぶれかけたFM COCOLO)を聞いているし、朝は文化放送と決めている。いいコンテンツを提供すれば聴いてあげるのに、つまらない地域制限で権利者とやらを守ろうとする姿勢はいかがなものだろうか。むしろ、地域制限を撤廃したほうが権利者の利益のためになるのである。Radikoの言い訳はお互いをつぶさないための放送業界の欺瞞、と言わざるを得ない。
また、インターネット放送が日本において一般化しないのは、それが放送業界全体を守るための手法であるからだ。
だからこそ、非常時にはOKであり、平常時には×になってしまう。そもそも、平常時にも○であるために、総務省は関連法令の整備をせよ。

2012年3月4日日曜日

Linux エディタの変遷

LinuxやFreeBSDが世に発表されたころは、なんとも使いにくいOSだと当然思っていたが、苦労するところは、やはり日本語環境の構築であった。インストールしても日本語が打てる、もしくは編集できるところまで行き着くのに幾多の苦労を乗り越えなければならなかった。
現在のLinuxでは、ある程度日本語の環境は入ってインストールされるので隔世の感がある。気に入らないIMだったりもするのだが。

そういえば、まだ職場にセキュリティポリシーなどなく、大量のデータ処理を当然ホストで行っていた時代は、職場で必要になったレポートをBSDで打っていたこともあったっけな。当時は、かな入力のできるものがなかったのでBSDをやるときはローマ字入力をやっていたっけ。
余談だが、ローマ字入力は漢字を忘れてしまうような気がする。かな入力をやる人は漢字を思い浮かべてかな入力をするのに対し、ローマ字入力をする人は頭の中でローマ字に分解する動作をするため、漢字を思い浮かべず画面上で確認するだけだからだ。

懐かしい…。いまは、個人パソコンで仕事のデータなどもってのほかである…。IMだって、WindowsはIMEという形で固定化(細かく知らないが)されているが、Linuxの場合は、IM部分と日本語変換部分は分かれて存在し、いろいろな組み合わせができることがそもそもの不幸の原因か…。しかも、対応するアプリケーションまで規定されている。これは、cannnaに対応するEmacsです、なんていわれても素人にはわからんだろ。職場の机の下にPC-9821 Ne2が保存されているが、FreeBSD98が未だに動作している。統合デスクトップ環境(gnomeとか)に移行する前のもので、WindowManager(TWMとかFVWMといったもの)であるが、日本語は主にMuleで打ち込んでいた。で、印刷していたのでまったく素朴な時代であった。ximとかあったけど、今でいうIM部はtamagoじゃなかったかな。当時のこともう、十数年経つので思い出せない。この辺の技量が情報部門に異動するきっかけになったのではあるが、もう『隔世』だからね…。正直、昔のBSDでは内部の通信ポートとプロセスを理解しないと日本語自体扱えなかった…。

で、ひさしぶりにLinuxで昔ながらのエディタを使ってみた。それで昔のことを回顧しただけであるが。
私は、Vz使いでBSD上はViよりMule(Emacs)であったけれども、まずは端末エミュ上で動作する悪魔のエディタ『vi』から。端末がそのままエディタになるって当時から違和感があったんだが、DOS上のエディタと一緒なのか…。インターフェースがかなり特殊で、使いづらいことこの上ないのだが、手に付いてしまうと手放せないアプリになるらしい。端末自体が日本語とIMに対応してしまえば、比較的簡単に日本語入力できるな。


次に、Xアプリ化したvi『Vi IMproved』の画面コピー。操作性は前述Viと変わらないような…。Vi使いにはたまりませんな。

次はEmacs。IM部分をエディタに内包するので、OS自体が日本語困難だった自体はそれなりに価値があったが、今ではあまり意味がないような。それでも、エディタなので手に付いてしまえばかなりの生産力がある。私も4-5年、Muleを使っていたがとてつもなく高機能なエディタである。専門書も購入したが未だに使えるんだろうな。ただ、素人ユーザーから言わせてもらえば、Emacsは普通のIMに対応させるべきと思われる。基本的にローマ字入力だけだし。SCIMからはインライン入力が…。Emacsで『物書き』なんて、かっこいいな…。
改めて見ると、メニューバーが日本語じゃない。まだ、私のようなユーザーがEmacsを良く使っていたころは、このあたりも日本語化されたものがあったような気がする。後述するgeditが普及するまでは、viよりこちらのほうが私にとっては扱いやすいエディタであった。
これも、昔はviと同じく端末エミュ上で動作するものがあったが、CentOS 5で確認できたのはXアプリのものである。


最後に、geditを。これはメモ帳程度の機能しかないが、Laser Linuxで初めてgeditを触ったときに、やっとWindowsに対抗できるアプリが出てきたと思ったものである。なんせ、Unixの世界は変なこだわりがあって、素人を受け入れようとしないところが一番いけないところである。
Laser 5には、なんとATOK Xに対応したKinput2も同梱されていた。なにも考えずにATOK Xを組み込んでもATOKが動くという仕掛けになっていた。Kinput2はLinuxの世の中を変えましたな…。



そういえば、14年前、オムロンから『dp/NOTE Ver.1』というワープロが発売されて買って使ってみたが、なかなか斬新な感じで。メニューがESCだったりしたのでインターフェースは一太郎Ver.3あたりのパクリかってなくらい、で使いやすかったが、これもEmacsみたいにアプリの中にIM(当時はなんて言ったかな)が内包されていた。漢字変換はWnnだけど。驚くことに、当時Linux/BSDでは『かな入力』はできないもの、とされていた中で、かな入力のできる唯一のアプリであった。PC-98だったんで、キーバインドが多少異なりカスタマイズはかなり苦労して、結局サポートにも連絡したが対応機ではない、とサポートも音をあげてしまったが(といっても私としてはかなり感謝しているのだが)。
次いで、redhat Linux 6.2のパッケージを買ったな。ATOKも入っていたが、アプリがあまりない世界で、結局あまり利用価値が見出せなかったような。
前述したLaser 5 Linuxはこの頃のもの。ほとんどredhatと中身は変わらなかったけど、まともに使えるUnixがなくて、雑誌もパッケージも買い漁っていたような気がする。ATOK X for Windowsも購入したので、使ってみたらどんぴしゃだった。といってもKtermとgeditくらいしか使えなかったけれども。
サーバー環境は、redhat 9くらいから。fedoraとかELとか出る前だったから、やっぱり昔のことには違いない。今は、日本語環境とインターネット(ブラウザ、メール)で無線LANさえ組み込まれれば使用上、Windowsにも対抗できる世の中になったんだから、関係者(といってもほとんどがコミュニティやボランティアだけれども)ふんばってもらいたい。
日本語入力もIIIMFのATOK for Windows, 続いてATOK X3なんかも出ており、Linux標準では、SCIMやIBUSのデフォルト提供なんでまったく日本語には不自由しなくなってきている。で、OpenOffice搭載となったら、事務仕事までLinuxで出来てしまうようになってきている。サンマイクロのSolaris9(これは比較的最近…)も、フリー版でATOK for Windowsが搭載されていたのはど肝をぬいた。OSのつくりはLinuxよりもしょぼくて私が使ったのは毎日DNSを手動で起動しなければならなかったため(バグなんだろうな)、Linuxに乗り換えてしまったのであるが。

というのも、Microsoftがこの頃おかしいのだ。Vista以降のMSの商売方法やOSに対する考え方、機能実現の方法はビルゲイツの手法では無いような気がする。Vista以降のOSの中身はさらに分からないものであるが、LinuxやBSDはずっと変わらない姿を保ちつづけている気がするのだ(細かいところ、例えばIMなんかは本当に細かい変遷があり、この辺がユーザーに敬遠されてしまうのだが)。
実は、私はWindows 7でも失望していたがWindows 8でもMicrosoftがまたへんな方向を踏襲したな、としか思えなかった。Windowsの完成形はWindows 2000〜XP(versionは5.0-5.1.2600)であって、それ以降のものはまったく変なOSである。

以下Wikiより抜粋
米国の調査会社 Net Applicationsによると、2011年9月における世界のOSシェアはWindows XPが47.29%であり、いまだに首位にあるという
なんとも、OSの世界はこの先読めなくなっている…。

SCIM Anthyでの 『ろ』と『ー』の問題【CentOS 5】


この問題はディストリビューションに関係なく発生しているようで、なぜ対応しないのかが大変不明。だからLinuxはダメなんだと思う。で、とりあえずその修正。修正してもWindowsのようにはいかないので、前もってご了承を(例えば、CAPS Lockがかかると『い』が『ぃ』になるとか…)。

まずはrootで、
1 /etc/X11/Xmodmapをエディタで呼び出す。
2 最後尾にkeycode 211 = underscore を書き足す。
3 SCIM入力メソッドの設定 を呼び出し、Anthy→かな入力 の設定画面にする。4 JISかな配列のカスタマイズ ボタンを押して、下図のように書き換える。要するに、『\』を打ったら、『ろ』ではなく『ー』が入力される、ように修正。なお、『_』を打ったら『ろ』が入力されるのは初期値なので修正の必要はない。
5 で、Xを再起動。 
6 制限ユーザーで設定したいときは、rootで設定したXmodmapをホーム直下にコピーしてあげて(.Xmodmapにリネームしてもよい)、Xを再起動すると次回ログイン時にこのXmodmapを使うかどうか聞かれるので、下図のように追加してやる。また、このメッセージをこれ以降抑止するように設定するといいかな。
これで、かなり日本語環境が快適になるはずだ。不具合もあるが、シフトキーを押さなくても『_』が入力可能になるくらいか…。


2012年3月3日土曜日

CentOS 5.7をFMV-P8215Tで使ってみた

例の電脳売王で買ってしまったFMV-P8215T(7,999円)。貧乏人だから中古マシンしか買えないが、XP Homeのコアシールが付いておりOSもインストールされているとあって、お買い得と判断した。
中古マシンだから、筐体はさほど期待していなかったが、さすが電脳売王さん。手垢などは見られないくらいきれいにしてくれる。DELLのD430のときもそうだったがなかなかの掃除上手である。

で、最初に入っていたOSはXP Homeであり、起動直後アクチをかけるパターンであった。これで、一日だけ使ったが、翌日、XP Professionalをインストール。二、三回インストを試した後、適当なパターンをイメージ化し、WindowsPEでリカバリ領域を作成、そこからリカバリをかけることにした。
しかし、これで満足するような私ではない。こんな小さくて変なPCをWindowsで使うなんて楽しくはない。いや、使うという表現は正しくはない。私の趣味はパソコンを使うことではない。パソコンを使えるように作り上げるのが25年ほど続けてきた俺の趣味。

いろいろなOSをインストールしてみたが、結論から言うと、今回はCentOS 5.7がナイスマッチであった。FreeBSD、Solaris、MacOSX、Debianとやってみたが、しっくりくるものがなかった。BSD系統のものはインストさえもやらせてもらえない。まあ、これは致し方ない。おそらく、DELL D430のときにインストしたVineもなかなか健闘するだろうが、今回は実験対象には含んでいない。
また、今回は非力なマシンということもあって、あまり多くは望まないことにした。やったことは、例のごとく、MacOSXのはりぼてをかまし(OS-X Leopardを使用)、マウスカーソルを変更(Mac4Linテーマのカーソル部分を抽出)、Thunderbirdをインストール、で、OpenOfficeを削除し、LibreOfficeを全部入れておいた。また、私にしては珍しく、Windows Xpを消しているのでMS フォントもLinuxフォント部分に突っ込んでいる。マルチブート時にはライセンス問題が発生するが、そもそもWindow自体を不要としたのでたぶん大丈夫なはずだ…。
で、ブラウザ、Office、メールくらいしかできないPCが完成した。実は、私の日本語入力は『かな入力』で、CentOS 5.7はAnthyを採用しており、FMV-P8215Tのちょっと変則日本語キーボードでは、『ー』を入力するのにシフトキーを押しながら『¥』キーを押さなきゃいけない、という事実が露見した。普通に『ー』を入力しようとすればなぜか『ろ』が入力されてしまう。これは、たぶん『ろ』キーが『\』キーのためらしい。『¥』なのか『\』なのかAnthyでは判断が付かないのだろう。『キー』と打つと、『きろ』となってしまい不便この上ない。


昨日までATOK for Windowsも入れていたのだが、ATOKならさすがにこのあたり判断してくれていた。ただし、ATOKを使用すると、OpenOffice Writer(Libreも同様)が起動しなくなる。これは、OpenOfficeとATOKのIIIMFの機能が重なるために起きているようである。私には、まだこの部分の解決はできていない。
で、最後にプリンタ(EP-803AW)を入れておしまい。気をつけなければいけないことは、ネットワークを使用したエプソンプリンタは『LPD(LPR)』プリンタということである。これさえ気をつかえば、Linuxでも簡単にプリンタを導入することができる。
ATOK でLibreOffice使えねえかな。

【FMV-P8215T CentOS5.7関連】
SCIM Anthyでの 『ろ』と『ー』の問題【CentOS 5】
Linux エディタの変遷
ATOK for Linux と OpenOffce(LibreOffice)のハング問題
iiimfのアップデート問題
印刷できない…。(selinux問題)

2012年2月12日日曜日

Sister Act を英語で鑑賞してみた

Sister Act 2 は印象に深く残っているのだが、その前作はあまり印象に残っていなかった。たまたまYou Tubeで小分けであるが見られたので、夜遅くまでかかって見てみた。
英語は全くわからないけれども、なんとなくわかる。クラブの歌手が殺人事件を見てしまって命をつけねらわれて修道院にかくまわれ、たまたまへたくそ聖歌隊の指揮をとったのをきっかけにゴスペルに変身させてしまい、みんなと理解を深めていくというストーリー。

主演しているWhoopi Goldberg のパフォーマンスの高さももちろんであるが、恥ずかしがり屋で声も大して出せないようなWendy Makkenaが、この聖歌隊でシャウトするまでに成長した姿は見物である。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=PYoCGwqSbHg
この人の容姿はなんとなく日本人好みな感じがする。今じゃ、艶っぽいおばさんのような気がするが。
驚くことに、この映画に出演しシャウトを見せつける女性たちはほとんどが本職女優と言うことである。アメリカ芸能界の層の厚さを見せつけられるわな。Whoopi Goldberg もWendy Makkena も日本ならいっぱしのシンガーのレベルである。Wendy Makkena のリードや"合いの手"なんかは抑えつけられていたか弱い声が解放された瞬間、というくらいほんとほれぼれするレベル。
この頃は日本の女優さんもほれぼれするくらいのシンガーいないわけじゃないけどね。
* Wendy Makkenaの歌声はAndrea Robinsonによる吹き替えという情報がある。音声を分析したところ、『Hail Holy Queen』では、透明感のあるきれいな声で高温部まで歌っているのに対し、『I Will Follow Him』やAct2の『The Teacher Song』はパンチ力のある比較的だみ声のシャウトである。Hail Holy Queen』では映画中に当てレコのような形跡(リードが継続しているのに本人はこれで良かったのかと戸惑うシーン)が残されているので、Andrea RobinsonによるものはHail Holy Queen』だけなのかもしれないが、映画ではアフレコ当てレコは珍しくないので、その他の曲についても、本人の声もしくはAndrea Robinsonによるものと双方可能性が高く断定はできない。米国版Wikiでは、Andrea Robinsonについて、もっとも有名な仕事はSister Act Sister Act2 のメアリーロバート役(Singing)と書かれているので、かなり濃厚な線だろう。本人や監督はどう言っているのだろうか…。
日本語版Wikiでも、本人の歌唱は『Ain't No Mountain High Enough』のみ、とされているが、その歌唱はHail Holy Queen』の声に似ているような…。決して歌は下手ではない。

このシリーズの最高傑作はこれかなあ。どれもいいけど。
http://www.youtube.com/watch?v=0DmZr-YZXqc&feature=related

この映画では黒人Whoopi Goldberg が白人聖歌隊の指揮をとり、今では黒人ハーフの大統領が国の指揮をとっている。昔からこういう国だったなら、日本国も戦争に引きずり出されなくて済んだだろう。なぜか最後は政治的に終わる(笑)。

2012年2月11日土曜日

おんぶ紐着用のすすめ。

今日は幼稚園の学芸会であった。それ自体は、何事もなく終了したのであるが、その後起こった事故について書こうと思う。
もう用はなくなったので、嫁とともに体育館の出口で靴を履き替えていたその瞬間。後方で『ごん!』という鈍い音が。後ろを振り返ってみると、なんと、とある母親のかたが仰向けに倒れており、その後方には1歳くらいの幼児が仰向けに倒れていて、激しく泣き始めた瞬間であった。
体育館であるので、体育館の出口と玄関とは20センチくらいの段差が生じている。どうやらそのお母さんは、その段差を踏み外したか、段差により勢いをつけてしまい思い切り足を踏み外したかのどちらかと思われた。さらに、抱えていた子供をその勢いで手放してしまい。頭を打ったのではないか…。
入り口付近にいた先生が『大丈夫?!』『お子さん、(段差を指さし)ここで頭、打っていたかもしれない…』と語りかけていたものの、その母親の方は後ろを見て呆然としていた。
子供は泣いている状態である。頭を打ったときに瞬間的に泣き始めた場合は、おそらく大丈夫とも言われるが、脳出血により急変する場合は翌日以降に発生する場合も多いので、要注意であろう。ただ、現場の状況からして、母親が頭を打ってしまい脳しんとうの状況だったのかもしれない。

少なくとも、子供を抱えての移動は、軽易にするものではなくおんぶ紐などで固定して移動すべき話である。近頃のお母さん方は車で移動し、また、腕力も向上したので普通にだっこしてひょいっと移動するパターンが多くなっているが、少しの距離でも、特に今回のような幼稚園や学校のような段差があったり、人混みに紛れてしまうような場合は危険なので、おんぶ紐を着用した方がよい。私自身は非常におんぶ紐を多く着用してきたし、三番目の子などは私のおんぶ紐でないと、寝なかったし(笑)。
乳幼児をもつお母さん方に呼びかけたい。屋外では、危険がいっぱいなのでおんぶ紐で大事なお子さんを固定してもらいたい。移動は慎重にしてもらいたい。
子を持つ親として、非常に心を痛める事故であった。