2012年8月28日火曜日

IIJmioでradiko 【通勤ツールの変遷】

この頃、ネタがあまりないので、通勤時に考えてたことを一つ。
15年ほど前に静岡市内に転居したのだが、そこから職場までは1.5~2時間程度はかかる。電車、バス、徒歩というバリエーションなので、多種の電車内での暇つぶしツールを使うことになる。
例えば、本。職場で民法の知識が必要になれば、ダットサン民法を読み(あの頃は学習効率がたかかったな)、UNIX関係で通称赤本もいくらか読んだ。当然BSDのマニュアルなんかも。電車内で知識をつけたようなもんだ。読んだものといえば、宮部みゆきもよく読んだな。
MD、CDもよく使っていた覚えがある。また、AIWAのヘッドフォンステレオはラジオ、テレビのチューナー付きであり、しかも音声多重であったので、欠かせない通勤ツールであった。
また、文章を読んだり書くのにB5ノートPCが欲しいな~っとずっと思っていた。
当時は、ナショナルのポータブルラジオ RF-U36やSONY ICF-M260もよく使っていた。今は無き始発電車のボックス席の窓側に陣取り、これらのポータブルラジオを窓枠に置いて、ラジオを聴きながら通勤してたっけな。多分周りの乗客の目からは奇異に思われたに違いない。両機ともAMは結構長いフェライトバーを採用しており、また、スピーカー(低周波増幅部)もメーカーの特色が出ていた。音が非常に良かった。特にパナ機のAMは歯切れのいい、それでいて耳につかない心地よい音を出してくれる。また、SONYの通勤ラジオ、SRF-R633Vは長期間FMで使用していた。巻き取りヘッドフォンはすでに壊れてしまったが。

最近はどうなったか。W33SAでは、テレビのアナログ、ワンセグチューナーが搭載され、その上FMも聴くことができた。好きな音楽だってファイル化しておけば当然聴くことができた。その後手に入れたXDV-D500は、比較的感度の良い ワンセグ、FM/AMチューナーが搭載されていたので、朝5時台の『めざまし』を録画しておき、通勤時間帯に聴いていた。なぜ録画かと言えば、当方の通勤経路では、10分以上電波受信に不安定なところであり、それが結構ストレスなので録画するようになってしまった。これももう壊れてしまった。

昔は、携帯網で音楽でも配信してくれたら、受信できない経路でも使えて便利なのに、と思っていた記憶がある。まさに、いまそういう時代であることを実感しているし、その恩恵を最大限受けている、と言っても良い。945円のIIJmioはまさにそういう使い方ができるのである。ちょっと時間遅れだけれども。朝、ニッポン放送(高嶋ひでたけのあさラジ!)や文化放送(吉田照美 ソコダイジナトコ)を途切れなく聴くことができる。これは私にとって無上の喜びである。

執筆&文章作成ツールはAndroidでも中古PCでも自在になった。しかも、F-12CのUSBを使用してインターネット接続が可能なんて電車通勤をやり始めた頃に比べたら夢のようである。
ただ、災害時用に念のため、アナログのラジオは持ち歩くようにしている。受信状況が悪いと言っても、車外にでればとりあえず受信可能な局はあるからだ。今はICR-RS110Mを持ち歩いている。災害時となれば、丸一日くらいは電池は持たないといけない。スマフォではこういう使い方は無理であり、できれば、電力消費の著しく低い、アナログ選局のラジオを持ち歩きたいところ。手持ちではAIWA CR-A55なんかが最適。
ICR-RS110Mは毎朝、5時からNHK第一放送を1時間録音させておく。これも、難受信になったときに聴くためである。でも、通勤時はほとんどradikoにシフトしており、自宅ではis01でradikoを使用し、トランスミッターで飛ばしてそれをICR-RS110Mで受信して増幅しているときが多いか。

2012年8月16日木曜日

知られざるJODK 【朝鮮放送協会】 / 알려지지 않는 JODK 【조선 방송 협회】

本日、夜10時からのNHKラジオ第一放送『NHKジャーナル』で現在宮崎県在住のもう90歳を超える女性アナウンサーへのインタビューをやっていた。細かいことであるが、インタビュアーが「日本占領下の…」(日本が朝鮮半島全土を軍事占領した事実はない)なんて言うもんだから、「こいつ違ったこと言ってやがる」と思ったけれども、なかなか中身は充実した内容であった。

韓国は『七奪』なんて言う言葉を生み出しているが、その七奪とは、『主権、国王、人命、国語、姓氏、土地、資源』であるという。しかし、その女性アナウンサーが語るところによると、『JODK』は日本語による放送、朝鮮語による放送、二つの言語による放送であったそうだ。しかも、『JODK』は第二放送をつくりその第二放送は、『朝鮮語専用放送局』に割り当てたそうである。

韓国民は言う、日本に『国語』が奪われてしまったこと、は本当だろうか。

その女性アナウンサーにとって、『JODK』とは『ふるさと』であるそうだ。いまだに国際電話で昔の知り合いとやりとりをしているそうである。日本人が韓国民から収奪を繰り返していたなら、そんな言葉は出てこないし、また、電話もかかってくるわけがない。

日本人はわかっている。あまりにも日本に同化してしまったので、アイデンティティを確立し日本から独立するためには、反日しか手段はなかったのである。しかし、今後はそうは行かないだろう。反省すべきはどちらであろうか…。

で、調子づいてハングルにエキサイト翻訳 / 에서, 궤도에 올라서 한글에 익사이트 번역
오늘, 밤 10시부터의 NHK라디오 제1방송 『NHK저널』에서 현재 미야자키현(宮崎縣) 재주의 이미 90세를 넘는 여성 아나운서에의 인터뷰를 하고 있었다. 잘잘한 것이지만, 인터뷰어(interviewer)가 「일본 점령 아래의 …」 (일본이 한반도(朝鮮半島) 전국토를 군사점령한 사실은 없다)따위 하는 것이에게서, 「이 녀석 다른 것 말 말야 や이 る」이라고 생각했지만, 상당히 내용은 알찬 내용이었다.

한국은 『7奪』따위 말하는 말을 만들어 내고 있지만, 그 7奪과는, 『주권, 국왕, 인명, 국어, 성씨, 토지, 자원』이다라고 한다. 그러나, 그 여성 아나운서가 이야기하는 곳에 의하면, 『JODK』는 일본어에 의한 방송, 조선어에 의한 방송, 둘의 언어에 의한 방송이었다고 한다. 게다가, 『JODK』는 제2방송을 만들어 그 제2방송은, 『조선어전용 방송국』에 할당했다고 한다.

한국 국민은 말하는, 일본에 『국어』가 빼앗겨버린 것,은 정말일까?

그 여성 아나운서에 있어서, 『JODK』와는 『고향』이다고 한다. 아직도 국제 전화로 옛날의 아는 사이(사람)과 교환을 하고 있다고 한다. 일본인이 한국 국민에게서 수탈을 되풀이하고 있었다면, 그런 말은 나오지 않고,또, 전화도 걸려와 올 까닭이 없다.

일본인은 알고 있다. 매우 일본에 동화해버렸으므로, 아이덴티티를 확립해 일본에서 독립하기 위해서는, 반일밖에 수단은 없었던 것이다. 그러나, 앞으로는 그렇게는 가지 않을 것이다. 반성해야 할은 어느쪽일까 ….

2012年8月14日火曜日

IOC激怒の件

まず、説明はいらないだろう。
ソースはサーチナ。
「旭日旗は見逃すのに、なぜ朴鍾佑の独島セレモニーは問題視されるのか」「なぜIOCが人種差別主義と帝国主義の象徴である日章旗の使用を許しているのか納得ができない」「ヨーロッパの国が試合を行う時にナチスのマークを掲げるのと同じこと」
と韓国では言っているそうである。
当ブログでは、「朝鮮と日本は手を携えて、人種差別主義と帝国主義と戦った」という立場である。WBCにしろ、今回のサッカーでも両国が対戦することは大変喜ばしいことであるが、メダルが剥奪されそうになると、「日本の体操ユニフォームは旭日旗のデザインだ。日本体操のすべてのメダルを剥奪すべきだ」と日本に対して(もはやなんだかわからぬ)攻撃をする。

今回のこの件については、「日本」は関係なく、「IOC」と「韓国の選手」の問題であることに気づかないのか。我が国の盟友として、大変残念な事件である。日本ではこれを「八つ当たり」という。ちょうど、中学生が親に八つ当たりするようなもんだ。未熟だ…。

韓国の人々は全く理解できないらしい。オリンピックは国際親善、友好の実現であり、国歌、国旗以外の政治的行為は制限されている。しかし、韓国人は以前も書いたが、「日本人には何をやってもいい」という育て方をされている。オリンピックで「日本非難」をしても普段から戦争状態と思わされていることから、自己主張が日本はもとより世界中に不愉快な思いをさせる、ということは思いもつかないようである。再度言う。この問題について日本を引き合いに出すのはやめて欲しい。確かに、日本と領有問題でもめているのは事実であるが、日本人はこの問題で一人も韓国人を殺していない。しかし、日本人は韓国人に殺されているのである。しかも、武装兵ではなく、非武装の漁民を、だ。でも、その愚行を日本国民はスポーツの場で一度たりとも訴えたか。

日本は、今回の韓国の選手についてはさほど非難していない。IOCが問題視している、という客観的な報道が主体である。またやっちまったな、ぐらいにしか感じていない。もう一つ言おう。どうも、韓国の方は自己主張が強すぎて、世界には相容れない違和感を感じることが多かった。今回の事件は、その一端に過ぎない。選手個人を責めるのは簡単であるが、そうではない、と思う。教育と政治が問題であり、古くからの盟友の国民としては早く気づいて欲しいと思う次第である。
最新情報で、韓国協会から『申し訳なかった。二度とこういうことがないよう徹底していく』との謝罪があったそうであるが、いろいろい思うにせよ当の日本国民は謝ってくれなくてもいい、とも思っているのではないか。でも、謝罪するなんて、ちっとは成長してるじゃん。
* と思ったら、

韓国サッカー協会は謝罪を否定 「独島セレモニーを説明しただけ」

とのこと(笑)。
日本人はいくら挑発されても韓国人の自己主張にはついて行けない。あとは、IOCと選手間でやっていただきたい。いくら日本人の支配を攻撃しても(日本人はその意味を理解しても)、IOCは韓国人の主張は理解できぬであろう。世界中は我々日本人よりも日本人寄りである。韓国人が今まで生き延びてこられたのは、日本のおかげである、くらいに世界中は思っている。当の日本人は「もう二度と面倒見たくない」が本音であるが、時々、IMFあたりを通じて「援助」しているのはどうしてか。そして、そのことに対して韓国人が日本人に対して謝意を示さないのはなんでか…。あまりにも礼節に欠く。
 
旭日旗とは、朝鮮日本新聞の社旗ではなかったか(笑)。しかも、その会社は韓国、中国が思いの外好きであるので、あまり敵に回さない方が…。大清国属高麗国旗(太極旗)には、日本人は敬意をはらっている。どこかの国みたいに、国旗を踏んだり燃やしたりはしない。この前、そんな事件があったが日本国民としては大変残念に思っている。こんなことをすれば、当事者国の国民全員を傷つけることになるからだ。誰かを傷つけること、この気持ちを韓国の皆さんは感じて欲しい。はっきり言おう。日本人だから…といって犯罪や無礼が許されることはまったくないのである。これらの事実は国家全体の良識と国民に対する教育、躾がまったくできていないことの証明である。こんな気持ちで付き合う限り、日韓の真の友好はあり得ないだろう。

2012年8月11日土曜日

消費増税可決、成立

残念ながら、成立してしまった。
まさに、国難である。総理はマニフェストに含まれなかったことに関し『国民におわび』としたが、お詫びするくらいならやらなきゃいいのに。
まあ、選挙は近いとされているが、今回の結果を踏まえ、私も権利を行使しようと思う。ただ、今回の三党については、私の理念に真っ向に反する経済・財政政策であるので、入れることはない。

私は、連合系の組合に所属しているが、連合は今回消費税を容認していた。組合の投票要請は静かに拒否するつもりである。消費税による赤字を少しでも目減りさせるために、組合費を払うのをやめようか。連合も自らの利権(組合費)に対して危機感を感じるべきだ。労働者は連合(及び民主党)に対して反旗を翻す時期かも知れない。現に、私の所属する組合は前回比例では『社民党』に入れろと言ってたしな。

国の財政が大変だから、震災で大変だから、社会保障で大変だから、ということで今回の増税が行われる。しかし、私に言わせれば、平成以降の経済政策に失敗している結果である。バブル終焉期に直接税を増税せず、消費税を導入した。そもそもの間違いである。その間違いをさらに国民に押しつけ、その間違いに増税による間違いを積み重ねることになるだろう。このままでは景気は好転しない。

来るべき選挙は、経済の視点をしっかり持っている政党に入れるつもりである。

2012年8月7日火曜日

続・不信任案情報

本日は休日出勤の代休である。元来私は休みは好きではないが、代休が10日くらいたまってしまったので、業務命令により休暇をいただいた。
-----------------------------------------------------------------------------------
中小野党7党の不信任案と、自民党の不信任案が同時に提出された場合は、どうなっちゃうのか、と前回は疑問だったが、この場合、会派別人数が多い方が採用されるとのこと。これはわかりやすい。ただ、提出の理由が全く違うので違和感があるが。

ところで、かなり前に、もし不信任案が出れば、消費税法案に賛成の自民党は不信任案に同調するしかなく、でも消費増税法案は可決したい、というジレンマに悩まされると書いたが、最近おもしろいことに気づいたので書いてみる。
衆議院では、総数480議席のうち、与党系(民主、国民新、新党大地・新民主)が256議席だそうだ。野党系は224議席であり、その差32である。もし、造反が15人出れば可決は可能(これは賛否同数となるので本当は16人のはず)だが、民主党不満分子の代表である鳩山さんは今回は「信任する」と言っており、組織的な造反はないだろう。よって、多分否決。ただし、小沢さんは鳩山さんを口説いている最中で、小沢、鳩山両氏が影響を与えることのできる民主党内に残存した最大の人数は70-90人ほどと見積もることもでき、オーナー鳩山氏が民主党を見限るか、野田総理を追い出すつもりで大号令すれば可決しちゃう可能性は十分にある。16人くらいどうにかなるだろう。そうすれば、消費増税は完璧に今国会では廃案。

一方、参議院の問責決議は、何もなければ可決される。そこで、参議院の審議はストップすることになるが、事態はこれで止まらない。6月26日に消費増税案が衆議院で可決されているので、ここから60日以内に参議院が可決しない場合は、法案は衆議院へ戻される。ここで、採決すれば、民自公の賛成2/3以上により衆議院の優越の規定で可決される、というのを自民党は狙っていたらしい。
そうすれば、内閣不信任には賛成し、消費増税に賛成するという自民党としての体面は保てる、ということになる。

しかし、国民から言えば、不信任票を投じた内閣に対して、その後(内閣の提出した)法律案に賛成する、なんてことは許されるのか…。しかも、その時点では参議院で問責された内閣である。国会会期末は9月8日まですでに延長されているが、自民党のこの策略が国民の理解が得られるかどうかは、わからない(まあ、たぶん得られないが)。早期解散が担保されない限り、三党合意を破棄する、という脅しをかけているのだが、もし解散を願うなら、その後召集された国会で消費税をやるのが国民の願いだろう。
どうやら、自民党もいろんな意見を言う人がいるらしい。で、こんな結果になっている。もう、ここ一週間は『若手主戦派』がその意志を握っているらしく、どんどん強硬となっていく。まあ、それがおもしろいんだけど。

ところで、新聞の社説は各社こぞって消費増税に賛成している、と以前書いているが、今回の事態になって、
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO44643600X00C12A8EA1000/
とか
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20120806-OYT1T01656.htm
を読むと、一刻も早い一体改革&消費増税成立を、また、それが国民の意思だ、ぐらいなことを書いている。なんでもかんでも国民をさも味方につけているように書けば新聞社はいいんだろうな。この段になって新聞社もみっともない、と思ってしまった。
産経も社説では、上記と同様な立場だが、論説では科学的データを示した上で中間層(勤労者世代)の家計をこれ以上破壊するのは適切でない、という意見が見られる。私もこの論拠には納得するのであって、今は税金を取る時期ではない、と思う。
もし、増税するなら消費を押し下げ、在庫を発生する消費税より、むしろ、法人税、所得税などの直接税の累進制を再度高めよ、という説を昔から展開している。なぜなら、勤労者世代の所得を平成以降叩き続けてきて、所得格差は広がり続けている。その中で勤労者世代は所得が伸びず、消費はかえって低下を来しているのである。金はあるところにはある。そこをなぜ狙わないのか。こいつを再分配するだけで、そのまま経済成長になるのに→消費増税分を補うくらいに成長するだろ。
『福祉(税と福祉の一体改革)により、増税が必要です。消費税を上げます。それが国民の意思です。』と書けばなんでも許されてしまうのは気持ちが悪い。なぜ、消費税なのかを説明してもらいたい。やっぱり、財務省と新聞社はなにかあるに違いない。いや、公明党と新聞社か。放送局はそこまで言ってないもんね。

参議院は事実上ストップするので、それ以降の法案については、消費税以外自民党はすべて反対して、闇に葬ってしまう、というのもなんだかな…っていう気分なんだけども。消費増税については、選挙の争点として争うのが国民としては一番なんだが…。

2012年8月2日木曜日

日本人のルーツと発想の違い

今回は、別に批判するわけじゃあないよ。
ロンドン五輪で 「重量挙げ“金”のカザフ2選手は中国人」と中国のマスコミは言ったそうだ。また、アーチェリーの選手は日韓の混血で、比較的最近帰化したそうだ。
中国の件は、信憑性に欠けるし、真実ではないらしいが、そこからわかることは、大陸の国ではなにかいいことがあると、『これはわが国由来である。』と言い切ってしまう、という特性がある。
片や、アーチェリーの選手は、『日韓両国の皆さんに感謝する』というコメントをした。これは両国にとって大変喜ばしいことである。また、「韓国では4位になれば何をしているのかと叱られるが、日本ではお祝いの言葉を受ける」と語っているそうだ。日本では、当然メダルを取れば「おめでとうございます」と言うし、入賞してもしなくても『おつかれさま』くらいのねぎらいはするだろう。やはり国民性が違うのだろう。多分、選手を送り出すこと自体の意味合いが違うのではないか。中国や韓国は、国を背負って頑張れ、と考えるのに対して、日本の場合は『個人が頑張って国の代表となったのだから、実力を発揮してくれ。』と考える。もし、ダメだったとしても、国民が責めたりはしない(一部の批判は認められるが、じゃあおまえはどうなんだ、と逆に責められる)。国と個人のバランスで言えば、かなり個人に傾いた思考を行っている。
ただ、某掲示板で心ないことを書き込まれ、彼女が傷ついてしまったことは、日本人として心から謝罪しなければならない。

日本では、日本が送り出した学者が例えばノーベル賞をとっても大統領になっても、我が国由来だ、というレベルで論ずることはない。日本人の道徳として、日本国がエライとか、そういった表現は決してしない。あくまで個人賛美で、『今までに至る道は大変だったろうな。』とまず他人を思いやる文化を持っている。この思想はモノに対しても有効である。例えば戦前、アジア各地に水道施設を日本人は残してきたが、これを維持する能力はあくまで、現地の人たちの力である。この場合、『日本は水道インフラを現地に投下しました。』というような単調な表現であり、中国、韓国のような『我が国由来』みたいな情熱のある表現はしない。

しかし、日本人は逆に外国人が日本に言わば『亡命』のような形で『帰化』するとか、為政者のような形で『君臨』すると大歓迎する、という特性がある。古くは百済亡命政府、近世では『小泉八雲』、終戦後はマッカーサーをはじめとする『GHQ』、現代では北朝鮮に亡命していた『米軍兵士』のような事例がある。また、中国残留孤児などもこのパターンに当てはまるのではないか。
日本は、古くから『扶桑の国』とか『黄金の国』と呼ばれ、『桃源郷』を思わせるイメージを近隣諸国に植え付けてきた。また、日本国内でも近隣諸国と違い、『日本国内はいい国だ』と思われたい国民意識が民族固有のものとして存在しているようで、それが外国人にいい方向に働くようだ。確かに、反作用としての差別意識も働くようであるが、日本国内で『同化』する中でそれらの意識も消滅しやすい傾向にある。

このように、異文化の吸収力、また人種の同化『力』もある日本民族であるが、なぜ、このような文化が『日本のみ』成立しているのであろうか。私自身の結論は、『縄文文化』の存在が後世に良い影響をもたらしたのではないか、と考えている。ここからは、あくまでその理由を推測してみる。

日本の縄文文化とはいわゆる『ミクロネシア人』が創造した文化、と言われている。おそらく、ミクロネシア人は比較的移動を行い、土地に定着しにくい性質があったのではないか、と思われる。また、このような性質を持つ『人種』は『好戦的』な集団とそうでない集団とに分けられるのではないか。
日本に来た『ミクロネシア人』は比較的温厚な集団であり、他集団に交流、依存しながら移動を行ったものと推測できる。移動し、他集団に『寄生』し、食料をもらい、食料を確保し、子孫を残していく。そのために、他者を排撃することなく、良好なコミュニティを実現するために一種の道徳観念を発達させた。日本に特有と思われる『他者への異常な思いやり』がそれである。確かに欧米文化としての思いやりもあるが、これは『神に祝福される』ための思いやりである。たとえば、震災後に救出されたときのおばあさんのように、消防隊に対して『ご迷惑を掛けてすいません』みたいな思いやりではないのだ。もし欧米人が助け出されたら、『神に感謝します』というだろうが、日本人の場合は、助けてくれた人にまず感謝する。そして、自分を助けてくれた消防隊という組織を、自分のために出動させてしまったことを詫びる。日本ではごく当たり前のことだが、世界にはこれがまったく理解できない。なぜ理解できないのか。これが太古の昔からの『縄文型文化』の発露だからだ。
逆に、日本のために世界中が神に祈ってくれたが、実は、日本人にとってはこれがまったく理解できない…。しかし、日本人は世界中が『なんか知らんけど祈ってくれたやろ』と考え、手間数をかけたことを申し訳なく思い、世界中に感謝する。日本が世界中とつきあうためには、精神的な翻訳の構造が必要である。

座り込んで抗議するのは、日本では良しとされない。あくまでスポーツは審判に従うべきであって、科学的に1秒2秒伸びたからといってもあくまで審判の判断に従わなければならない、と考える(再度言うが、これは批判ではない。勝利にかける執念はあっぱれである)。でも、もし、相撲(国技)で座り込みをやったら(たとえ数秒だけでもそんなことをやったら)追放され二度と土俵に上がれなくなる。日本人は、潔いことを美徳とするからだ。ここで、自己主張をしてしまったら、自分はいいけれどもほかの人に迷惑をかけるし、他の人が責められることにもなる、と思考する。また、問題が起きたことはすべて自分のふがいなさからだ、と認める。これが、宗教化されていない至極道徳的な日本人の死生観にもつながっており、さらに潔さは『生命を軽視』することによる『穢れ』を極端に嫌い、これは逆に生命の尊重につながるのである。
そういえば、昔、聖徳太子という偉い人がいたが、この人の『十七条憲法』(十七条の憲法)は、日本人の美徳をよく書き表している。おそらく、聖徳太子や蘇我氏は、土着の民や渡来人と交流(多分政治的な議論が主体だろうけど)するうちに、日本人固有の思考と道徳を見いだしたのではなかろうか。

太古の昔から、日本列島は、朝鮮人、中国人、北方モンゴル人の攻撃や侵略、交易、移民、亡命を受けており、その後、弥生時代、飛鳥時代を経ていくことになるが、そこで注目されるべき事実がもう一つ存在する。
確かに、これらの民族の進出を受け一部は同化していく中で、政治機構や言語は大陸系のものに順次染まっていったに違いない。『ミクロネシア言語』についても文法は失われ、現在では地名程度しか、その痕跡をとどめていない。また、日本人の血液のDNAを調査しても、『縄文人』のDNAは一割程度しか残されていないそうで、純粋な縄文人などというものは、絶滅したといっても良い。
しかし、縄文人の残していった『精神文化』は偉大であった。現代日本人が持つ『道徳文化』のほとんどは、縄文人由来ではなかろうか。たとえば、前述の『救出していただいてどうもすいません』という表現に見られる、自分が決して労働の提供を受けてはいけない、他者に迷惑をかけてはいけない、といった精神構造があげられる。また、コミュニティを重視する『愛社精神』『会社人間』と行ったものもそうだろう。また、『勤労奉仕』が成立するのも一つの道徳である。例えば、道路が損壊しているのを発見すれば、大陸的な発想では、避けて他人の土地を通ってしまう。また、損壊を修繕したりしない。それでは、業者の仕事がなくなってしまう、という発想をするらしい。しかし、日本は『他者を思いやる』ために、迅速かつ安全に復旧させようとする。安全のためには、業者は儲からなくてもいい。業者が儲かるのは本復旧の設計以降だ、と考える。こんな事例でも大陸と日本ではこれだけの決定的な違いが存在する。震災時の道路損壊はほとんど行政が簡易的な設計により対応したものだが、この復旧スピードは世界をビビらせた。
中韓の道路は、ゴミが多く汚れている、とネット上では言われているが、日本の場合はどこに行ってもきれいで、よく修繕されている。これは、地元や沿道の人が『軒先や地域にゴミが落ちているのはみっともない』と考えて掃除を『勝手に』してしまうからである。また、子どもたちも比較的しつけられており、ゴミを捨てない文化を持っていること、道路が壊れていれば逐一行政に報告するなど、日本人の美徳は限りない。行政がやらなければ材料の支給を受けた上で勤労奉仕としてやっつけてしまう。これは、日本人全体に根付いた道徳である。
また、日本においては、このような道徳観が個人に大きく根付くあまり、宗教性をあまり必要とされない。宗教に対しては、神道も仏教もキリスト教もみんなひとくくりに『神様』としているフシがある。まあ、神道は日本文化に根付いているので、日本人の精神性を示すもの、ということもできるが、宗教といったジャンルでは少なくとも『神様』である。
たとえ、GHQがキリスト教を携えていたとしても、日本国民は『仏教中心』からそんなに変わることがなかった。これは、米国が戦争に勝ったとしても日本人の精神性まで『侵略』できなかったいい事例である。片や、この小論では同胞(といってもDNAレベルでかなりの部分が共通する、という意味)、といってもいいくらいの隣国韓国では、人口の3割がキリスト教徒(全宗教人口の6割に該当するらしい…)であるという。素直に驚きである。
確かに、この説明では日本に大乗仏教が根付いたメカニズムを説明していないが、多分コミュニティのアニミズムに『寄生』する形で拡がったと思われる。また、江戸時代のキリスト教も『神道』や『仏教』に同化する形をとっていたのでは…、と思われるフシがある。テレビで江戸時代から伝わるキリスト教の祭壇を見たことがあるのだが、『仏壇』と言っても良いほど『日本的』であった。
しかし、日本においてキリスト教がなかなか普及しないのは、唯一絶対神のみを日本人が受け入れがたいためである。なお、唯一絶対神も、仏も神も信じているのが、日本人の特徴とも言えなくもないが、信じる、とか祈る、という宗教スタイルでさえ日本人は正直理解できない。『現世利益』を祈願するなら理解はできる(笑)。
縄文型コミュニティは、山、川、海、草木、動物、雲、雨、太陽、月といった周りを取り囲むものからの利益を享受している、と考えた。また、時には災害をもたらすこれらのものをコミュニティの化身として投影するようになる。すなわち神である。コミュニティと神と個人はかなりの共通部分があり、個人も『神性』を備えていると考えられていたのではないか。
だから、震災後に世界を驚かせた、略奪の少なさや、礼儀正しさ、冷静さ、そしてずば抜けた治安を実現しているのだ。日本人すべてに神性が宿っているので、もし反社会的な行為をすれば、自らが何者かに罰せられる。これは国家ではなく、各個人に宿った神性により罰せられる(バチが当たる、という表現)、と考えているのである。

よって、日本人それぞれに宿る『縄文型コミュニティ』の縮図の総体が日本の神道と言うこともできるのだ。この考えは、『仏』にも通じるので仏教と神道とが排撃し合わずに普及(神仏習合)したのであろう。
某国は靖国参拝を非難するが、上記のメカニズムに基づいて言えば日本人の精神文化を否定、愚弄することにもつながる。このことについては、日本人はもっと怒って良いだろう。しかし、日本人自体が、自らの道徳が世界に誇るべきものと気づいておらず、さらにその道徳が神社に結びつく、なんてことは到底考えていない。当然、某国がこのような宗教観、倫理性を理解できるかどうかは到底無理だと思われる。日本人の道徳は世界中で日本人のみが理解できるのである。海外では、日本人は楽観的な運命論者、と評されたが、そんな難しいことは日本人誰一人考えていない。当たり前の行動をしているだけである。

昔、水戸黄門がテレビの中で言っていた言葉、『お天道様は許しませんぞ!!!。』この言葉を世界中に広めるだけで、世界平和を実現できるのに(笑)。理解できるのは日本人だけ、という悲しさ…。

------------------------------------------------------------------------------

ミクロネシア文化はこのようにコミュニティ重視の平和的な文化を日本にもたらしているのであるが、日本を過去に征服してきた民族、部族にとっては、ハード的に侵略は成功したものの、文化的には逆に侵略されてしまった、ということもできる。その反面、ミクロネシアはいざ戦争となると『首刈り』を行ったということでも、その後の日本に絶対的な影響を与える。

班田収授法と墾田永年私財法は日本の経済を独自に発展させるきっかけをつくったが、これを守るために武士が登場してくる、と学校では習っている。しかし、過度とも取れる主従関係なくして武士は成立しないのであり、これは多分、『縄文コミュニティ文化』を背景に武士が登場してきたのだろう、と私は考えている。また、封建制成立の基礎ともなる大陸風の『論功行賞』制度であるが、日本では敵方の『首』を主君に差し出すことで褒美が得られる制度に変質した。この変化も縄文時代の『首刈り』制度が基本になっていると推測できる。日本の封建制は、このように『縄文文化』と『大陸文化』のバランス良い『混合』の結果成立するのであり、日本にもし『縄文人』がいなかったら、多分中国とも韓国ともそう変わらない道徳心であったのではないだろうか。
『縄文型コミュニティ型封建制』はその後、資本主義や愛社精神及び世界に誇るべき道徳に形を変え、今も我々に生き続ける。日本人がまじめ、勤勉と言われるのも、我々がバランス(規律、規範、道徳)の良い縄文人と大陸系の混合タイプだから、と言えるのではないか。大陸由来のDNAは9割を占めるが、縄文人の精神性は未だ生き続けているのである。

で、冒頭に話を戻すが、中国、韓国人の文化は『送り出す文化』で自らの国を誇る文化であると言える。しかし、我々日本人は全く逆な発想で、『迎え入れる文化』で訪れた方を歓迎する文化なのだろうと思う。たとえ、ムラが『侵略的渡来人』に征服されていったとしても、合一化したコミュニティ内で実は敵勢力を平和裏に包含し、また、為政者(の一団)に『神性』を植え付ける結果になっていったと思う。これが、日本人の発展エネルギーのすべての源泉であったに違いないし、世界中の人々に理解できない、そして賛美される日本人の精神構造につながっていくのである。

-------------------------------------------------------------------------------
新渡戸稲造先生は『武士道』を著しているが、『武士道』という体系がなぜ構築されたのか、は小論の立場から推察すれば、日本人の中には『縄文型コミュニティ文化』がその背景として存在するからである。現代でも李登輝先生が『武士道』を世界に広めるべき、と語っておられるが、『武士道』を理解させる精神的素養=『縄文型コミュニティ文化』の理解が必要である。これは宗教の教典のように明文化、体系化できるのであろうか…。日本人すべてに課せられた課題といって良い。

再度、内閣不信任案

参院で増税法案採決前に、衆院で不信任案を提出する、という方針が野党の一部で固まったとのこと。野党の一部とは、共産、社民、みんなの党である。これに生活ときづなが相乗りしたことで、提出が可能になったとのことだ。

自民、公明は、増税採決案に「賛成」であるが、不信任案ということになると微妙。普通では当然、不信任案に「賛成票」を投じることになるが、民主党に同調しすごく「増税したい」が、内閣を「信任」するわけにも行かない。またすでに、自民党若手は執行部方針に反対し「三党合意破棄」を迫っている状況である。
谷垣総裁も頭が痛い。小泉進次郎に出て行かれたら、人気のある人いなくなっちゃうもんな。

正直、自民、公明が不信任案に賛成、ということになると、野田内閣及び民主党にとっては、今まで費やした時間、金も相当な痛手である。会派もぎりぎり与党を維持しているような状況に陥れ、選挙で票も減らすことにもなるだろう。野田執行部は数の計算では小沢さんに勝るが、力学的な計算では負ける、と言うべきか。
結果は自民党次第、まだまだおもしろい状況が続く。

造反議員に刺客をたてる、という話が一昨日あったが、民主党はもうそんな力は残されていないだろう。正直、やめた方がよい。民主党がかなり減らすと言われている来るべき衆院選で、最大限勢力を確保するためには、正直小沢さんに頭を下げ、代表は無理にしてももう一度幹事長職を提供するぐらいやらないとダメだな…。

---------------------------------------------------------------------------
現時点 8/5 報道だと、自民党が『独自』に不信任案の提出を検討しているとのことである。最初、この意味がわからなかったが、野党(中小7党相乗り)の不信任案では、『消費税増税法案の成立阻止のため不信任案』なので同調できないとのこと。自民党は『提案理由の違う不信任案には同調できない』立場から、『国会運営の遅滞、野田内閣に対する不信感』を理由にするらしい。
しかし、同一の採決になるのは疑いない事実であるので、違う理由による一つの採決になる…かな。衆議院事務局も頭が痛い…。