2012年7月30日月曜日

【オリンピック】日本対モロッコ 写真

判定がどうのこうのという気はまったくない。あくまでゲーム中のワンシーン。

日本人の態度やスポーツマンシップ、そしてゲーム運営がイギリスの若者に人気らしい。
また、オッズは現在2位だとか。こんなに日本が受けたことはありませんな…。この雰囲気なら、再度日英同盟を結ぶことも夢ではない。ただ、日英軍事同盟ではなく、この雰囲気なら日英サッカー交流条約になってしまうかもだが。

しかし、スタジアムは空席だらけだな。大会運営を日本人にやらせてくれたら完璧なのに。
(東京五輪と石原さんを何気なく宣伝しておく…。ただ、宣伝だけではない。日本人はこういったマネジメントは完璧だね。)

そういえば、清武氏は「負ける気がしない…」と言っているそうだが、サッカーに限らずそういうイメージってすっげえパワーなんだよな。もしかしてこのまま決勝戦までいって、最後は日本のゴール祭りになるかも。
あくまで冗談だが(笑)。

2012年7月29日日曜日

強くなったな… 【サッカー】 / It became strong…. [Japanese soccer]

私の高校時代の同級生に「O君」という、サッカーのうまい友達がいた。高校3年の時は席を並べていたこともあり、話をしたところによると中学時代は別の部活をやっていたそうだ。しかし、彼は高校サッカーで頭角を現し県選抜に選ばれ、当時はあまり交流のなかった韓国へと出かけていった。そこで、当然ながら韓国の反日サッカーの洗礼を受けた。かの国は何事においても『日本、日本』と言い、サッカーは『国技』であり、日本に負けることは許されなかった。
今は、確かに『反日』には違いないが、交流といった意味では韓国文化が日本に入り込んできてはいる。しかし、日本文化はどれだけ韓国に入り込んでいるのであろうか。たぶん、日本文化が入り込めば、反日も少しは収まるのではないか。反日は間違った教育を助長している嫌いがある。韓国政府は、もう少しまともな情報を国民に提供した方がよい。特に、日韓基本条約の条項と、経済援助に絡む部分、また軍属に関する補償規定(韓国政府による一括補償)などはまともに開示したことがないのではないか、とも見て取れる。
我々日本人とともに白人支配に対しのろしを上げて戦った勇敢なる朝鮮の人々がいたこと、この事実がともに東アジアの開放に至るきっかけを作ったのである。それなのにこの輝かしい自民族の働きを否定し、日本人と戦いました、日本支配から韓国を解放しました、これは事実かどうかはわからないが隣でこんな教育をしていれば、日本人としては気分が悪くなるのは当然である。そもそも解放した結果が『祖国分断』である。日本時代の朝鮮半島に対する日本国の働きはこの事実から推して知るべきである。その上、現在では韓国人は世界中で粗暴な働きをし、嫌われている。世界中に好かれる日本人とは違うのだ。
少なくとも、我々日本人にとっては、合衆国及び白人列強の非人道的な日本国いじめによる空前のエネルギー危機のもと、列島と半島の資源と食料を確保するための戦争でもあった。この事実と、ともに列強と戦った盟友ということ、そして、結果的に列強を東アジアから駆逐したこと、これさえ認めてくれれば最大の友好国になることができる。非常に残念な戦後の歴史でもある。
さて、話は逸れてしまったが、県選抜×韓国選抜の試合が終了し、結果は負けてしまった(たぶんコテンパンに)そうである。県選抜メンバーはうなだれて会場を引き揚げようとしたその時、一発のボールが選手の列にけり込まれた。この意味は『早く帰れ、二度とくるな』と言うことであった。しかし、まだ高校生の彼らはなぜそんなことをされるのか、全く理解できなかった。実はこの事件は『中山ゴン』氏も証言している。日本人の場合は、一戦交えた後は『じゃ、軽く一杯』となるところが、日韓ともなればその事情と背景がまったく違うのである。韓国人は日本人に対しては何をしても良い、とも教えられているらしい。

平成5年(1993年)にJリーグが発足し同年、『ドーハの悲劇』を経験する。その頃の国際試合はまったく見ていて歯がゆい試合の連続であった。しかし、誰かは忘れてしまったが、外国人の方で、こんなことを言っていた人がいた。『そもそも、日本人ほどサッカーに向いている国民はいないと思います。スタジアムからの統率のとれたすごい応援、ここまでやれる国民はいない。』と。
一転、平成8年(1996年)アトランタオリンピックでは『マイアミの奇跡』を起こす。
日本がワールドカップに初めて参加したのは平成10年(1998年)であるが、その時名波選手は、『優勝してねって言われるんだけど、ああ、本当にこの人サッカーのこと知らないんだな、って思う』と言っていた。そのくらい、世界にはまだほど遠かった。
1999年にはコパ・アメリカ(南米選手権)に参加し、一勝も上げられなかった記憶がある。

それが、である。このごろはなんか違う。日本サッカーの素早いパス回しとスピードが世界を驚かせている。あれは、なでしこがやっていたサッカーではないのか…。それが、オシム→ザック流と相まって、前線をかき乱して戦意喪失させる、なんともダイナミックな要素を加えたサッカーに変貌しつつある。
確かに、体格に勝るチームのサッカーは、前線にどんどんボールと人員を送り込み、ミスと隙をついてけり込むサッカーである。しかし、日本のサッカーは違う。そもそも前線にボールをけり込んでも空中戦になれば不利。だからパスを回して押し込むスタイルで、相手を見ながら自陣内でパスを回し続けいらいらする展開も多かった。しかし、オシム流から明確に変わってきた。『ドリブルではなく、パスは一発でつなげる。』これをやられると、相手は動きようがない。封じられないのである。で、外から抜く実力を持った前線のスピードはもはや世界の驚異である。そうそう、日本人って足速いんだよね~って思わせてくれる程。

海外の反応を見たが、『技術ある』、『フィジカル強し』、『プレススゲエ』、『くそスゲエ』という反応が多い。また、日本人には理解できないが、なぜか日本びいきも多い。挙げ句、日本は『金』も狙えるとの評も。しかし、国内では、案外冷静なんだよね。ヤッター!!!って言う反応よりも戦況を分析し、なぜ外す?みたいな感じ。これも日本人の特性である。

そもそも、日本人は体格が良くないのだから、体をぶつけるスポーツは適さない。その証拠が野球である。接触プレイがないからこそ、世界を相手に闘える。しかし、日本人は相撲、レスリング、柔道といった競技は強いではないか。となると、基本的に体をぶつけないスポーツであるサッカーが弱いわけはない。しかし、実際は体同士がぶつかるからこそ弱かった。しかも、相手を引っ張ったり、倒したりすれば反則、でも当然のように相手は倒しにかかってくる。日本人のように仮に戦争という状況下でも最大限の礼儀と規則を重んずる国民にとっては、半ばルールを無視したサッカーの実戦は理解不能なところである。
これを克服するための策は、素早い『パス』と『スピード』なのである。今度のオリンピックでは日本サッカー、またなにかやってくれるに違いない、と思う。もはや『奇跡』ではない。日本のオッズは現在5位とのこと。世界が日本に注目しているのである。

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いよいよSAMURAI JAPAN(NIPPON/NIHON)はZERO FIGHTERを搭載したようだ。

2012年7月28日土曜日

The all songs of WINDY 【岩﨑元是&WINDY】を聴いてみた!!!

先日、『岩崎元是』氏の本当の名前は、『岩﨑元是』という表記だと書いたのであるが、今回のタイトルはその表記で…。ただし、『岩崎元是ファンのページ』には、ご本人からたびたび書き込みがあり、名義は『岩崎元是』だったりするので、ご本人はあまり気にしてはいないらしい…。

さて、『The all songs of WINDY』を入手した。私も若いときは音楽をやっていたし、羨望のまなざしで尊敬するアーティストも当然いたが、その中でどれが一番好きか?と問われれば、『岩﨑元是&WINDY』と答えるだろう。

『誰それ?!』『ハム太郎の音楽担当の人だよ』(笑)。ボーカル(コーラス)はモジャ公でも聴けるし。
ちなみに、今から17-18年前になるかな…。嫁と娘と一緒にハム太郎を見ているとき、主題歌を聴いてたら俺『この音楽、岩﨑元是じゃないのか…』って言ったら、『まさかあ、あっはっは』と嫁に笑われたんだが、出てきたクレジットを見て一同びっくり。

おそらく、何千回と繰り返し聴いている。ちなみに冬でも(笑)。
発表した数少ない曲はすべて完成度が総じて高く、その分エネルギーを消費してしまったのだろう。活動の期間は長くないが、それがまた、好きなところでもある。『伝説の夏の翼』ではなく、『伝説の夏のバンド』となってしまった。
夏と言えば、当時は『山下達郎』や『サザン』の代名詞みたいなモノで、そこを新興『TUBE』が切り崩しにかかっている時代だったな。まったく無名だったが、『東レ』のCMソングだった関係もあって、曲を聴けば『聴いたことがある…』というくらいだったか。

その編曲からは想像できないものの、何となく『TULIP』のコード進行やベースライン(特に下がっていくところ)に似ているな…とは思っていたが、ご本人が言うには『TULIP大好き』だったとのこと。私も小学校時代から『TULIP』は大好きであったので、そんなところも影響しているのか…。

さて、慢性金欠の私だが、やっと『The all songs of WINDY』を入手してスマフォに突っ込んで一通り聴き終わったところである。ほとんどすべての曲は購入済みであるが、私が予備校に在籍していた頃の発表曲『星空のガレージ』は初見であった。しかも、なんていい曲。メロディアスな『Imagine』みたい…。

『HEART WASH』はアナログ版とCD版双方を保有しているが、アナログ版のA面『Parking』の最後尾フェードアウトしていくときに雨の音がフェードインしてくる、そして雨の音は止まない(アナログレコードの特性を利用したもの)、みたいなアイデアはいったい誰が考えたんだろうか…。当時はほとんどがフルオートプレーヤーでたぶん雨の音が途中で『ブチッ』となったに違いないが、マニュアルのプレーヤーの方などはきっと雨かな、と思って起きてみたら、レコード盤が回りっぱなしだった、なんてこともあったのではないか。
このアルバム、当時のCBSソニーによくある音質で、私は実はこれが…だったりするのだが、このことについては後々岩﨑氏が言及している(私が知るCBSソニーのアーティスト、たとえば村下孝蔵とかオザキとかもこの音質である。コンプレッサーまでは良いのだが、リバーブを全体にかけてしまっており、本来の音がつぶれてしまっているような感を受ける。岩﨑氏も今回の作業にあたっては、このモヤモヤ感に悩まされたとのことである。

しかし、曲もサウンドも良くできている。私の兄に聴かせたら一発で気に入ってしまい、結婚式の入場曲に使用したくらい。珠玉の作品集である。

ご本人は、これらの作品群を挫折の象徴だとし、できれば避けていたかったとのことである。しかし、ファンにとっての岩﨑氏の音楽は、私の場合、大学受験で失敗をし、浪人、失恋、結婚、転職、そして回顧と、すべての場面につながっており、私の半生の中で(頭の中で勝手に)一番使用されている挿入歌と言って良い。
私も当然挫折はあったが、岩﨑氏の提供してくれた楽曲は決して挫折なんかしていない。岩﨑氏の認識してくれたとおり、挫折を含めて我々の青春の象徴ではなかったか。

最後の作品『眠り続けたい』もかっこいい。エレキギターでコード一発、わざとハウらせ、高音の余韻の中にアコースティックギターがストロークで参加してくる。なんと神秘的でかつ力強いイントロなんだろうか。音楽をやっていた端くれとしては、まさに理想とする音作りであった。当時ローソンで発売していたビデオクリップ集の中にPVが入っており、最近までYouTubeでも見られた。当時、友達の下宿であれを見て、レコード屋まで買いに行った覚えがあるが、その店にはアナログ盤しかなくてそれが未だに我が家にある。また、その後苦労してデジタル変換してMDとかMP3とか、20代-30代前半の頃はいろんな聴き方をしてたな。また、どうしてもCD盤が欲しかった楽曲である。ちなみにB面の『海岸通り物語』は『from South Avenue』をCDで購入したので、データ変換は比較的楽だったが(当時はMACでCD作成をしていた)。GORO氏のジャケットも相変わらず良かったよね。
今回のジャケットもGORO氏の制作で、あの頃の若者はもう40-50代、職場ではサラリーマン生活のまとめとして一定の地位を与えられる中で(でも私はヒラ社員だけれども)、今日は休日、家族は私を無視して外出、たまには夕方、あの頃彼女と歩いた海岸でも犬の散歩がてら行ってみるか…、などという世界を想像してしまった…。彼女はもちろん『海岸通り』に登場する彼女である。
このあたりは、それぞれがそれぞれの想いで解釈して良い部分でもある。私の中での彼女は…。当然、嫁ではない(笑)。嫁は今や鬼と化した…。

カラオケ行っても『岩﨑元是』名義の曲は見ることないのだが、1回だけ確か新宿のスナックで『My Favorite Girl』を歌ったことがある。評判であった。確か、会社(某省系列の国の法人)の同僚と行った時のことであり、私の嫁(当時その予定。でも鬼になる予定は当時想定外)も中にいた。上司は、『こういうの(曲)、本当いいよね~』って言っていた。あれは、平成4年だったかな…。

さて、今度はまた岩﨑元是ボーカル作品の新作を聴きたいものである。セルフプロデュースによる再メジャー化も是非お願いしたい。


岩﨑氏の思いと曲紹介はこちら。ファンとしては、驚くべき事実と制作に関わる裏話の数々である。『サヨナラ、君のロンリネス』など岩﨑氏の思いとは裏腹に発表してしまったようで、後悔している、とされているが、案外、曲って手間数かけて作るよりフレーズが天から降りてきて、それをそのままやっつけてしまった方が人に受けたりするところもある。それは、なかなかどうなるかわからないところ。岩﨑氏は後悔しても、ファンの中では代表的であり大好きな曲の一つではないのかな。
Strings-1の由来も驚いた。私はずっと『My Favorite Girl』のストリングスバージョンかと思っていたが、『Ah~』(夏の翼)の部分だったなんて…。
http://www.most-company.com/iwasaki/tasow/index.html

たぶん、ご本人も知らないと思うが、『君が残した夏』がFM静岡(現K-MIX, JFN系)のジングルで使用されていた時代があった。なんか、局内にファンがいたみたい。結構WINDYナンバーがかかっていたな。あれから25年…。

2012年7月25日水曜日

消費増税の本丸 【新説】

過日、反原発、脱原発問題において、『マスコミの論調は次元が低すぎる』と書かせていただいたが、本日の産経の論説委員の方の書いた記事で、私と同様の意見記事が掲載されていたので要旨を紹介させていただく。
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産経新聞オピニオン欄 風を読む 『野田総理の朝令暮改』 論説副委員長 高畑氏 【要旨】

電力会社社員が出席し主張を展開したが、脱原発反電発側の批判が殺到したため、政府はあわてて発言者選びのルールを変えてしまった。
産業界からは、「0%」「15%」「20-25%」という選択肢でも日本の経済成長を確保できないとの懸案が高まっているのが実情だ。
首相は聴取会にいささかの疑念も生じさせてはいけないとし、国家戦略担当相は「電力会
社員の意見表明はお断り」と選定方式を一方的に改めた。のみならず、1回9人の意見表明を12人に増大した。これでは、反原発、脱原発派の意見が恣意的に増大してしまい、かえって疑念を増大させてしまう結果になりかねない。
会社ぐるみ、組織ぐるみがいけないのなら、反原発などの市民団体の意見も規制すべきだ

電力会社関係者でも、個人として参加し発言する機会まで封殺するのは、個人の自由や職
業選択の自由を冒涜する乱暴な政策だ。
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電力会社の人間の意見を最大限尊重せよ、とは書いていないが、結果的にそう読めるぐらい公平な観点に立脚していることに拍手したい。
産経新聞の不思議なところは、社説と論説が違う意見のところがあったりすることである。社説は新聞社としての利益がその背景にあったりするが、論説は公平な視点で問題点を抽出しているようで、私の意見とも一致することが多い。正直、消費税問題では各社諸手を挙げて『賛成』しているのに対し、論説では『中間層を破壊』するとし、反対の立場を表明している。

政策というものは、この政策をどのような手段で実施するか、と、この政策を実施すればどれだけの人が幸せになるか(結果)を分析することに尽きる。原発を再稼働せず、停止したままだったら、いったいどれだけの人が幸せになるのだろう。その反面、どれだけの人が迷惑を被るだろう、どれだけの人が命を奪われるだろう、といった幸せと不幸の総量を計算する。では、原発再稼働で、どれだけの人が幸せになるか、不幸になるかを計算する。この手法はJS.ミルの『最大多数の最大幸福』の手法である。

では、消費税問題ではどうか。民主ばらまき政策、震災復興、借金財政、財政を巡る状況は混迷を極める、と喧伝されており、広く一般から税負担を求める、とされているが、実はその本丸は社会保障政策だったりする。しかし、消費税の使い道となる社会保障分野については、国会論議においても迷走しているような印象を受ける。このあたりは私は門外漢なので、なんとも言えないのだが、借金がいくらあり国民一人あたりこのくらいです、だから消費税を上げなければいけない、という宣伝工作なんかも長年すり込まれているような気がする。しかし、日本国民の借金は投資として国民が引き受けている(国債という貯金)ので、元総理の麻生さんが言うにはそんなには心配ないそうだ。プラスマイナス0と考えてもよい、ということになる。

では、なんで消費税を上げるのか。その本当の本丸についてはもうちょっと考えてみる。

日本の政府は、国内問題に鈍感で、国際的圧力に弱いという特徴がある。その点から論じてみると、たとえばこんなふうになる。
仮に、日本で100円で売られる商品を作ったとする。で、これを合衆国に輸出したら(輸出品の日本国内での消費税は結果として還付されるので)仮に合衆国で1$(仮に100円=1$というレートである。)で売ったとする。しかし、合衆国では、週ごとに税率が違うらしく、税率は10%程度らしいので、110円を売り上げる。で、売上を記録した会社の日本法人にその110円を送金するとどうなるか。
仮にその商品を日本で直接買ったとすると、日本の消費税率は5%なので『安い』ことになってしまう。
こういうことになれば、日本で直接買い付け、個人輸入を偽装して日本に消費税を払った方が良いという、『抜け荷』のような商売が横行するのでは、という危惧が発生するがそれについては定かではない。
ただ、この単純な机上の空論とも思えるモデルは、国際的な需給バランスを崩す一因にもなっている、と各国政府は考えているのではないか。

実際は、1$=100円などというレートはとんでもない。日本の輸出は相変わらず多いので、円に人気が集まり円高傾向にあり、日本からの輸出は半ばダンピング(これは日本の消費者が負担しているとも言えなくもないのだが…)というか企業努力により、なるべく安価を維持する方向で輸出されている。だから、110円の売り上げを記録してもそれを日本に送金したところで、その商品は130円くらいで売られているはずなので、メリットはまったくない。しかし、日本企業が強い=消費税が安いから、という言いがかりをつける国もいるはずなんで注意が必要である。

経済はメカニズムであるが、本日はうまく書けなくて申し訳ない。

2012年7月22日日曜日

IIJmio と Radiko (Raziko) gmailのPOP受信

IIJmio高速モバイル/Dと契約してはや2か月となった。F-12Cとの組み合わせであるが、純正docomoで使うより、かなり電池の消耗が早いが、それ以外はおおむねOKである。

朝起きると必ず、Wi-Fiにつないで3kNetViewerを立ち上げ、産経新聞紙面をダウンロードする。で、完了すれば回線を3Gに切り替え、Razikoを立ち上げ朝のラジオを聴きながら、洗面所やトイレ等を済まし、ヘッドホンをつなげてたばこを吸いながら徒歩で駅まで向かう。
電車に乗り込めばそのまま3kNetViewerを再度立ち上げ、ダウンロードをしておいた紙面を読み込み、それを読んでいれば目的の駅までついてしまう。Radiko(Raziko)はその間聴きっぱなし。
帰りはもっぱらRadiko専用機として使用している。

Radiko使用はもっぱら安定している。日本通信のものが下りでストリームを閉じているのに対し、IIJmioはそういう制限を加えていない。また、LTE+FOMAプラスエリアの効果を発揮しているのか。接続は至極安定している。
また、インターネットは当然IIJmio経由であり、128kの制限を加えられるが、IIJの資源を使う際にはこれらの帯域制限を発動していないという。これはどういうことかというと、ネットワーク通信をする際には必ずDNS参照を行うが、このDNSサーバーはあくまでIIJのものを使用する。で、DNSを見る際には本来のLTEもしくは3Gの帯域が保障されているので、ネット閲覧や場合によってはRadikoなどのストリーミングにおいても、帯域は変わらないもののアクセスを求める際の名前解決が早く行えることになり、反応速度や全体的な速度向上に役立っていると思われる。

そういえばこれまで、朝2回ほどネットの速度が60-80kになってしまってRadikoが使い物にならないことがあったが、いったい何が起きていたのかは不明である。また、当方の地域ではIIJmioを使ってアクセスすると、『TOKYO JAPAN』の判定を受けるので、通勤時は東京のラジオを聴くことになる。

本日、gmailのIMAP受信をPOP3(10分間)に切り替えて実験中である。IMAPアイドル受信は電池くうし、しばらくIMAP(10分)で運用してみたがメールを取りに行ってるかどうか不明なところがあったので、、POP受信(10分)に切り替えて様子を見ることにしたが、あれ???、F-12Cの標準メールアプリはなぜか、POP受信はできるが、メールボックスをのぞいても過去メールが読めないという不具合があるような…。

携帯の場合のメールプッシュ配信って、結局のところ、音声系(ライトメール)とかで端末をたたき起こし、でeメールを取りに行かす、という仕組みらしい。非音声系のMVNOの場合は当然のことながらこのようなリアルタイム受信は無理なので、IMAPアイドル受信を行い、リアルタイムに受信するしか方法はない。しかし、これをやってしまうと劇的に電池を消費してしまうので、次なる方法を検討中。
正直、日本の携帯キャリアのリアルタイム受信の技術は驚きである。

2012年7月21日土曜日

小沢新党の支持率? と原発に対するマスコミの狂気


朝の文化放送で、『小沢新党の支持率は高いが、偏向報道されている』と言っていたので調べてみた。
大概、各種世論調査では『期待しない、支持しない』が8割を超えている、という報道のされ方をしているが、普通は支持率を前面に出すだろ、と言うことらしい。ほかの政党だって『期待しない、支持しない』はそのくらいあるだろうに、ということらしい。
また、『期待しない、支持しない』をタイトルに打っておきながら、『3-5%』の支持率は小さな文字で書いている、ということも問題らしい。もはや国会では『第三勢力』の位置を占めており、完全に法律の正否を握る立場になっている。ネットでは案外高いね、という意見も多い。

極めつけは『ゲンダイ』の『偏向』的な小沢寄り報道。
支持率と『期待する』をあわせちゃうと、民主、自民とそんなに変わらない(というよりも支持率トップ)となってしまう、という報道もある。

確かに、新聞を素直に読むと、今の時代社説に洗脳されてしまう、という危険性を感じることが多い。私の考えは『反消費税、原発はそんなに反対しない』という考えだが、そんな政策を掲げる政党はない、と思われる。その立場から新聞を読むと、かなり穿った立場で新聞を読まないといけない。一年前に原発報道の件で櫻井よしこ先生のことを書いたが、私も先生とは同立場である。しかし、消費税については、全く逆である。私は小沢さんがもっともだと思う。しかし、『国民の生活が第一』は反原発だという。と、なると、私には投票先がない、ということか…。

反原発はわかりやすい政策であるが、反原発の政策自体、GDPの押し下げ効果がある。消費税も経済規模を縮小させる効果がある。経済政策としては両者とも問題があるが、法律論的には法的措置、法手続に基づかない今の原発稼働停止のほうがよっぽど問題を抱えているのは明らかである。稼働を実施し、法的措置や計画に基づいて廃炉、停止に持って行かないと、法治行政の束縛が外れ、行政の暴走が始まるような気がしてならない。
菅総理が浜岡停止を呼びかけた際の当ブログに、『法律に基づく停止を』と私は呼びかけ、『こういった手続きを無視する手法を許してその前例を作れば、原子力事故以上に日本国民は負の遺産を抱えることになるかもしれない。』と書いたが、そこで勧めたとおり中電も同様の主張をすべきだった。というのは、現在の世論、デモなんかを見ると、『国民が運動すれば原発の再稼働は止められる。』と短絡的に勘違いしてしまったきっかけをこの事件はつくってしまった。
この立場での国民運動の参加については、断固私は拒否する。ただし、日本の原発をこれまで通り運用し、中長期的に代替エネルギーを実現し、原発の停止を法的に整備するならば、それはそれで支持をさせていただく。小沢新党がもしこの立場であれば、賛同させていただく。

民主党は、菅総理のきちがいじみた(法を無視し一方的に電力会社に損害を与えた)『停止』と野田総理の唐突的な『再稼働』と、どうも『法律』を無視する傾向にある。再稼働だって『○○法第○条の規定により再起動を認める』と言えればよいのに、行政の意地悪で止めてしまっている状態なので、再稼働の根拠もなくなっている状態である。菅総理の『停止要請』と点検後の再稼働を認めないとした事実上の政府方針は明らかに『違法』であり、これを違法と言えれば再稼働はできる。電力会社は原発を再稼働させたければ、法律論を振りかざし、もし政府内から異論が出るようであれば法廷闘争するくらいの覚悟が必要である。

『原発意見聴取会』も総理大臣の指示により、電力会社関係者は出られなくなってしまった。たとえば電力会社社員の発言は、
「福島の事故で放射能の直接的な影響で亡くなった方はひとりもいません。それが今後5年、10年たっても、この状況は変わらないと考えています」
「個人的な意見として、原発をなくせば経済や消費が落ち込み、日本が衰退する」
と発言し、総スカンを食らってしまった。私は電力会社の関係者ではないが、至極同意である。原発を何基も爆発させてしまったが、作業員含めて死者が未だ『0』なのは評価してもいいのではないかと思う。唯一の被爆国という点、また日本人の災害耐性がこの件でも最大限発揮されているのである。
J-CASTニュースでは、
『福島では老人施設から強制的に避難させられる中で、何人が死んだか知ってるのか。また、これから福島第1の作業員から被害が出ないとどうして断言できるのか。』といっているが、確かにこちらもごもっともである。しかし、この因果関係というレベルで言えば、三陸沿岸部を津波が襲っているさなかに各報道ヘリコプターは、上空から津波にのまれる国民を見殺しにしていたではないか。人の命という点で、マスコミは自分を棚に上げて報道する。だから、私はテレビも新聞もここ10年は見ていないのである(産経の電子版と各社のネットニュースは別だけど)。
本来的には人命救助の名目で、日本中のヘリコプターを東北沿岸に向かわせても良かったのではないかと思う。この案については、政府に法的整備を要求するものである。
むしろ、電力会社社員の発言を封じていること自体が、ファシズムのニオイを感じ取ることができるのだ。
電力経営、技術の専門家は、この厳しい世論に対して継続的に意見表明を行っていく必要がある。特に、この原発なんとか会の、『2030年時点での原発依存度を「0%」、「15%」、「20~25%」という3つの選択肢を明示し、各選択肢から抽選で各3人づつが意見を述べる。』という方式については、政府関係者と電力会社社員が論ずべき大所高所から見て分析すべき事項であり、一般の消費者=国民は、何パーセントというよりも『やるかやらないか』ということしかわからないのではないか。電力会社の発言を封じておいて、一般国民相手になんでこの切り口なんだろうと激しく非難する次第である。

TBSテレビ報道局解説・専門記者室長は「電力会社がしゃべればこうなる。利害関係者だから。利害関係者が入って国民的議論になるのか。運営に問題がある」と言っているが、じゃあ聞こう。マスコミは日本国での原発依存度について何パーセントが適切か、マスコミは判断できるのか。仮にすべての原発を廃炉にして、すべての電力会社の経営が立ち行かなくなっても良いのか。これを日本国の利益とするのか。『運営に問題がある』のではなく、『設定に問題がある』のだ。
仮に電力会社を一方的に批判できるなら、マスコミで消費する電力のすべてを自家生産するくらいの覚悟が必要だろう。なぜ原発の議論をこんな無責任な方向に持って行くのかそもそも不思議である。電力においては、ほとんどすべての国民が利害関係者であり、前提とする理屈が成り立っていない。
電力会社の意見はせめて参考意見として、国民は聴取する必要がある。意見を聴かなければ、電力会社も国民の発言を聴かないだろう。生産者と消費者の関係として、将来にわたって良質で(安全で)低廉な電力を供給する(してもらう)。それが今回の議論の本質であるべきだ。
また、政府は代替エネルギーを早々に策定し、そちらに電力会社を誘導すべき段階にあると思われる。かつて、政府が電力会社を原発に誘導したように…。『国民』VS『電力会社・原発』をこれ以上演出して見せ、世論をけしかける政治手法は良くない。一緒に考え、日本国の理想を持ち、権威を高めるためには、原発は忘れよう、ほかのものをともに考えよう、というのが正しい姿である。

マスコミと民主党は猛省すべきである。日本国を分断工作するつもりなのか…。

マスコミの論調は次元が低すぎる(怒)。

2012年7月15日日曜日

牛乳屋フランキーと静岡県酪農試験場(御殿場)と日本の畜産業 -時之栖(茶目湯殿と天空)-


今から10年ほど前だろうか。このマンションに越してきて、一人で休日の朝方、衛星劇場を見ていた時、一本の白黒フィルムに出くわすことになる。『牛乳屋フランキー』。あのフランキー堺の映画である。このブログは映画産業のブログではないので詳しくは書かないが、まあ、中身は昔はアリかな…くらいの映画である。喜劇、勧善懲悪、ラブストーリーが混じり合っていた。で、遊び心満載の昭和31年(1956年)の"実験的"作品。
この映画の後半部を寝ながら見ていたのであるが、突然ミュージカル風になってしまった。出演者が突然牧場らしき場所に背景を移し、踊り歌う場面である。当初、『またくだらねぇ場面が始まったな…』と思いつつ、ぼけーっと画面を見ていたのであるが、とあるカットで私の脳裏に衝撃が走ることになった。そのカットとは、カメラが出演者とともに収めたその牧場のたぶん『飾り』を映した場面であった。
時代は、昭和30年代、リヤカーや馬車、牛車といったものから急激に運搬がトラック(オート三輪)に移行している時代のことである。おそらくトラックを手に入れた国民はリヤカーや馬車を解体し、処分してしまったに違いない。しかし、その背景に移っている牧場には、処分したであろう馬車らしきものの車輪が『飾り』として存在していたのだ。おそらく、柵や塀の装飾代わりに使用したもの、と思われる。
その風景自体はおそらくたいしたものではない。言葉では言えないが、突然私は苦しむことになる。『この景色、どこかで見たことがある…。』しかし、思い出そうと思っても思い出せない。何度も過去を反駁してみたが、モノクロ映画の『ボケ具合』もあり、明確な回答を引き出すことができない。結局、私の中である結論で丸めてしまうことにした。その結論とは…。

私は、産まれてから2歳頃まで、ある牧場内の社員寮(長屋)に住んでいた。その会社の名前は、『静岡県育成試験場』もしくは『酪農試験場』という。母親が言うには、そこに1歳になるかならないか、くらいに別の場所に引っ越したらしいが、父親の赤いカローラとその手前にできた水たまりを未だ覚えているので、たぶん、十分に歩いていたものと推測されるので引っ越しは1-2歳の間、かなり2歳に近付いた頃ではなかろうか。その当時は、風呂は各世帯で共用だったし、私はよく近所のお姉さん方(小学生)と一緒に入っていたとのことであるが、残念ながら(笑)まったく記憶にない。当時はまだ『薪』をくべるタイプの風呂であった。夕方になると地域の各家庭から薪を燃やすときのいいにおいがしたもんだ…。
さらにその後、別のところにある社宅(官舎)に引っ越してしまったが、今の私より若いオヤジの勤務先が前述した試験場であり、また、私の通う『御殿場市立富士岡幼稚園神山分園』は時折、遠足で行く場所を試験場としていたのでよく行ったものである。また、職場の人間が総出で『搾乳』する光景など、そう見られたものではないだろう。いまでは、こんな作業も機械化されているので。なにしろ、私はこの頃から人の働く姿をぼけーっと眺めるのが好きなガキだった。しかし、好きなのは眺めるだけで自分が働くのが嫌いになってしまったが(笑)。
まだ、その頃の職場や地域社会というものは、『家族』的なところがあり私が一人で外をほっつき歩くとオヤジの職場の人や地域のおばさん方がよく声を掛けてくれたものだった。

その試験場には、入ってすぐ左のところにペンキで塗られた『車輪の飾り』(もしくは樽の蓋のようなもの)が存在していた。もしかして、牛乳屋フランキーはその牧場でロケを行った可能性がある。あくまで可能性で推測の域を出ないが、たぶんそこでは撮影はできない(確か事務所として使用されていた気がする)だろうから、そこにあった『飾り』を牧場内の別の場所に移動させたか、新たに映画のセットとして作られたものを撮影隊が引き揚げるときに置いていったか、どちらかだろう。それが試験場終焉の時まで(処分に困り…)飾られることになった。その意味不明なものが、私の幼少期の記憶のシンボルになってしまっている、ということも言える。『牛乳屋フランキー』のロケ地の記録をネットで探しても『御殿場市』は出てこないので、関係者で存知の方がおられたら教えてもらいたいくらいである。あの牧場は本当はどこ?*。

当時の試験場は、肉牛、乳牛をはじめとして、羊もやっていた記憶がある。羊毛の刈り取りも目撃したし、おそらく実験用でつぶしたラム肉を食わされた覚えがある。庭に置かれた七輪で炭火焼き、オヤジたちは『バーベキュー』と称していた(今思えばなんという贅沢…)。ラム肉は安いので学生の頃に食べた覚えがあるが、やはり過去を反芻し『ああ、あのときに食べたのかな。』と『苦しみながら』思い出した次第である(笑)。

2歳から小学校入学前までは、上述の通り別の官舎に住んでおり、風呂上がりはやはり実験用に搾乳した牛乳の残りを煮沸消毒後に飲まされていた。誤解のないように言っておくが、その後聞いたところによると実験用の肉や牛乳の余り物でも、県から購入(たぶん給料から天引き)したものであったそうだ。骨粗鬆症の検査で私の骨が異常に硬いという結果を出すのも、この頃のこういった食生活が元になっていると思われる。

試験場に話をもどそう。
その場所は県試験場がくる前に、農林省の施設(農林省種羊場)として使用されていたものらしい。時之栖に入ってすぐ中央部分に桜の『林』があるがこれはその当時植えられたものであるとのこと。春、幼稚園の遠足で、満開の桜の木の下で弁当を食べていたら、担任の先生の弁当に虫が落ちてしまい、先生はそこで弁当を食べるのをやめてしまった…記憶がある。昭和48年の春のこの出来事は、予備校時代、幼稚園をともに過ごし予備校寮で部屋が隣同士であったM君も記憶している。
では、県の試験場は、どこにあったか。戦後すぐに就職したオヤジは、沼津駅の近くにあった、と言っていた。『静岡県種畜場』というものだったらしい。どうも、戦前の合衆国は中国を市場にしたがったけれども日本が満州国建国とか茶々を入れるので挑発し戦争になってしまったが、戦後、とりあえず日本を市場化(消費地と)し、さらに東洋のデンマーク(非工業化)とするためにアメリカ産の牛乳や肉を売りつけよう(給食制度の始まり)という中で、生産においてもプランテーション(まさに植民地…)を導入しようとしたものの、日本政府がそのプランを拒絶。しかし、あまりに日頃お世話になっている合衆国様に悪いと思ったのか、官製主導で牧場経営をしようとしたもの、と私は推測している(証拠はまだない)。
実は沼津種畜場の開設は昭和4年であるのでその説は正しくないのだが、ソフト的には、戦後になって静岡県は米国にてホルスタイン種の買い付けを行っているはずである。日本のホルスタインの再導入及びアメリカ式大規模牧場経営はまさにこういうところから始まったのだろう。これは間接統治の強みであり世界に特異な存在としての日本民族の特性であるということができる。日本人は外から『核』を注入されれば、それを自己の個性で育て産業化することができる。日本人はまさに『真珠』のような存在である。まあ、オヤジは決してそんなことは言わなかったが。たしか、種畜場の位置をオヤジがぶつぶつ言っていたときは、兄貴が30代後半でなぜか盲腸となり入院し、その帰り沼津駅まで車で送ってもらった際での出来事であった。『今から50年以上前に沼津駅で降りた…。』『種畜場がここを曲がった先にあってな…。』。
いつだったか、オヤジのある写真を見た覚えがある。牛舎の中、当時の県知事の傍らで牛舎の概要を説明しているであろう若かりしオヤジの勇姿であった。ある時には某女優さんの写真を家に持ち帰ってきた。わけを聞くと、東京に距離が近いこともあり、ロケ隊が来た、とのことらしかった。今ではオヤジのみならず兄貴までも故人となってしまったが。

その後の試験場については、昭和49年に富士宮市の朝霧高原に全面移転することになってしまう(現畜産技術研究所)。移転とともに羊は研究対象から外され、肉牛と乳牛に専念することになった。これとともに私の『牧歌的』な幼年時代は終わりを告げることになった。
さて、その試験場敷地はその後最上興産に売られたがたいした活用はなされず、十余年ほど事業化されない土地であった。その後、米久が温泉を掘り当て、今は時之栖として人々の癒しの施設として供されている。

時之栖に、気楽坊という有名な温泉施設のほかにちょっと奥まったところに茶目湯殿という別の施設がある。そこは気楽坊とは異なる源泉を使用しているとのことで、確か数年前まで源泉は『しょっぱい』味がしていた。今はその味は抜けてしまったけれども。
そこに天空という露天風呂が併設されているが、そこに入ってまた私は苦しむことになってしまった。確かに40年以上前私はこの地に住んでいたことも当然わかっているのだが、その悶々とした苦しみは、『この位置は試験場のどの位置なのだろうか。』ということと、壮大に見える富士山の麓が『いつ』見たものか、ということに尽きるのであった。
もう、40年もたっているので、正直そんなものはどうでもいいとは思うのだが、人間の本能はどうしても幼年時代に見た景色と現在の景色を見比べて、どんな変化があったのか、どの位置に私はいたのか、さらにはここに至るまで私はどんなことをしてきたのか、を反芻し、無駄だと知っていてもその記憶の切れ端をつなぎ合わせそこに合理性を求めようとするようである。たぶん、幼年期のその後の人格形成に与える影響、役割は多大なものがあるのだろう。

そこには結論なんてものはまったく出てこないのだが、長時間悩み苦しみのぼせてしまいかつ精神が悶々となった私は、風呂を出てから、自販機で100円で売られている冷たい瓶入り牛乳(国産)を買い一気に飲み干し、どうでもいいか…とつぶやきつつ多少はさっぱりとした気分で時之栖を後にすることになるのであった。

本日は日曜日。さて、天神の湯でも行ってくるか…。

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*未確認な情報であるが、フランキー堺が招待される牧場のシーンは森永の牧場ではないか、という情報がある。そこと『歌い踊る』シーンが同一かどうかはわからない。森永乳業はこの映画でスポンサーをつとめていたとのことである。
* Amazon プライムビデオで見つけたので、再確認してみた。あのあたりで、この規模の牧場はやはり静岡県酪農(育成・畜産)試験場ではないか、というのが大方の見方である。





2022年12月17日追記
富士山及び箱根外輪山の写真をアップする。




 多分あと200-300メートル北側で撮ったなら、ドンピシャな写真になったと思う。この映画の牧場のロケ地は『森永牧場』ではなく、静岡県の試験場だったと私の中では特定となった。
 さらに、その後に始まる戦闘シーンの挿入では、富士山が曇っており、また富士山麓っぽい映像ではあるものの、近くに多分1,000メートル程度の山が見えてたりするので、このシーンのみ富士宮朝霧高原で撮られたものかもしれないなあ、と思い始めている。山の形が長者ヶ岳っぽい。ただ富士山西麓からだと『愛鷹山』を意識するが、それはないんだよな。ちょっと断定までには至らない。

2012年7月14日土曜日

積極財政論

本日、亀井前国民新党代表のインタビュー記事を読ませていただいた。

災害に襲われているときに増税してはいけない。今は所得の再配分をやらなければならない。そのためには積極財政だ。
そういうせめぎ合いが今の消費税国会で起きており、その中で正しいのは小沢氏だ。民主党が2年半前に約束したのと逆のことをやろうとしているのはおかしい。
出典

もっともなお話である。拙論も積極財政と再分配の正常化を訴えており、一致するところである。

職場の女性たちと話してみたが、至極小沢さんは人気がない。壊し屋、金権政治、そして政局の象徴としてとらえられているようだ。だから小沢氏には興味はないしむしろ嫌いである。しかし、政治理念で言えば、現在の国会で舞台に立つ議員のうち、一番見識がありかつ正しいことを言っている議員は小沢氏であるということを言ってあげている。これは余計なお世話かも知れないが。

このごろ、肌に感じているのが、『放送』と『新聞』で消費税に対する論調である。ラジオ各社では、『小沢は正しい』と言うことも多い。新聞社は『小沢は終わった人、消費税の衆院可決に賛成』としているようだ。私は、産経の読者であるが、社説は消費税に賛成しており、論説は反対している。特にマクロ経済の立場で物事を書けば、現在の民主党は真逆の政策であり、市中の金融、流通量を増やそうとする小沢説は至極正しい。所得税と所得税のダブル増税でなぜ景気が改善するか、政権は説明してもらいたい。こんなコトは魔法使いでもできない話である。
では、なぜ新聞は消費税を支持するのか。これ、政権と新聞社で『取引』が成立している、との見方がある。至極汚い話である。まあ、俺は紙の新聞はとっていないし、消費税が上がってもたいした金額ではないからいいが、正直紙の新聞を取っている人は消費税で月400-500円払うことになるのか…。

さて、市議会議員さんにも『直接税累進制強化、消費税減税、所得再分配、財政投融資』を唱えてみたが、これは至極受けがよい。市議会議員は経済や財政の専門家は皆無といって良いが、その政策を実現するにはどうすれば良いか、と聞かれた。市議会では到底経済に介入することはできないが、やろうとするなら当面一般質問等を通じて立場を理解してもらうしかないだろう。所得再分配、財政投融資の部分は市の財政政策でも実施できる範囲である。ただ、世の中の経済が少しでも加熱してくれないと、無駄遣いに終わってしまうような気もしないわけではない。やはり、財政は、経済に仕えなければいけないと思うのだが、今は財政がトップに来てしまって経済は財政に従属するようになってしまった。内閣は経済政策を主導しなければならないが財務省に従属してどうする。おいっ。

2012年7月1日日曜日

The all songs of WINDY 【岩崎元是&WINDY】

高校生の頃は、身近にあった音楽は、だいたいニューミュージックと言われるものだった。ギターはいつも弾いていたので、好んでコピーしていたのは、オフコースとかチューリップ、長渕、そしてふきのとうだった。
予備校時代は、いったん音楽を断ち切っていたものの夏が終わる頃、家にあったAIWAのでっかいラジカセCS-75Xを親に電話して送ってもらったりした覚えがある。冬に帰省したときはハーモニカ『メジャーボーイ』を鞄に詰めて横浜に戻ってきたな。

そのラジカセで開局したばかりのFM横浜をよく聴いていた。うーん、たしかFM横浜の試験放送も聴いていたような気がするが、開局が1985年(昭和60年)12月20日なんで、聴いてないかな。秋口には、『ふきのとう』の新しいアルバム『星空のページェント』が発売され、FM横浜の15:00頃からの番組、タイトル名は忘れてしまったが細川俊之氏と香坂みゆきさんがやっていた結婚式場が提供している番組で流れていたっけ。
その中に収録されていた『Time goes by』がとりわけ印象に残っている。この曲を聴くと横浜六角橋商店街の町並みを予備校の行き帰り、とぼとぼ歩いていた自分がよみがえってくる。

自分一人の幸せに
悩み苦しんだわがままな日々

花屋の店先で君が
僕の腕を引き止めたことがあるよね

今だけを走り続けたかった
明日を見つめるのが怖くて
ほほに流れる涙さえ拭いてやれず
あれから
Time Time Time Goes by


さて、予備校のクラスは一応、『一流~二流大学私学』に分類されていたものの、成績不良のため年末に『こんな成績じゃ三流も無理』と机を叩かれたくらい成績は悪かった。一科目だけ政経(正確には現代文も向かうところ敵なしではあったが…)は気を吐いたが、残りの科目は偏差値は至極底辺と言っても良かったので、総合すると人並み以下となってしまった。そんなとき、高校の国語教師の言葉を思い出した。駿台『英文法問題頻出問題精講』の後半部分の英熟語だけ覚えろ。そうすれば、結構受かるぞ…。
もう、受験まで一ヶ月あまり。目の色を変えて語呂合わせしながら覚えてみたら、自分&周囲の予想を覆す結果が転がり込んできた…。

さて、晴れて大学生になったが、音楽をやっていたのは前述の通り。そして夏が終わる頃、地元のFM局を通じてとあるグループのサウンドに注目することとなった。その名は、『岩崎元是&WINDY』。残念ながらヒット曲もさほどなくすぐに活動もやめてしまったので、作品もさほどない。ただ、2枚のアルバムはかなり完成度が高く、こんなサウンドを是非やってみたいものだ…と思わせる作品がちりばめられていた。
一枚目のアルバムはコーラスワークを駆使したナイアガラサウンドを彷彿させる音作り、かと思わせておいて、二枚目では井上鑑による洗練された音作り、コーラス隊は岩崎元是合唱隊(一人でハモり)をはじめとして、やまがたすみこ、伊集加代子などを起用しており驚きの作品群であった。
岩崎氏は現在、作曲家、編曲者としてのご活動をされており、当然これらのアルバムもご自身の作品が主であるのだが、『School Days』では岩崎さんぽくない進行だったので作詞者を見たら吉田美奈子となっていた。今でも私自身かなり好きな曲である。

岩崎さんのボーカル自体は、杉山清貴を少し柔らかくしたような感がある。当時ヒットしたのはオメガトライブだったが、予備知識がなければ聞き分けることができないだろう。しかし、似て非なるもの、杉山清貴を『エレキギター』とするならば、岩崎氏のボーカルは『クラシックギター』くらいの違いがある。
一度聴いてみたい方はYouTubeで『岩崎元是』で検索すれば聴ける。本当は岩﨑元是らしいけど。

さて、その岩崎氏の手により当時の作品群がデジタルリマスターとなって『The all songs of WINDY 』というタイトルで発売された(from SOUTH AVENUE はデジタルマスタリングだったような気が…、不確か)。未入手のシングル目当てに是非購入したいと思うが、在庫がなくて…。

F-12C電池持続時間 IIJmio

F-12Cの電池持続時間にご質問があったので、土日暇だったのでテストしてみた。
結構意外なことがわかったので独立して掲載することにしました。

テストA
【前提条件】
アカウントと同期の設定 → バックグラウンドデータの設定 ON (ピクト表示緑色です 電池消費大)
メール NTTドコモ CommuniCase(ひどすぎると評判の…) IMAPアイドル受信をON (電池消費大)
電池アプリ(eco モード for Android)導入済み
また、一切F-12Cは使わない状況。ただし1時間に1回、電池の残量を見るのに数秒画面をONにする程度は行った。
3GをON、Wi-FiはOFF。
【試験結果】
午前8:00にほとんど満充電(99%)から実施。
9:00には90%(10%減)
以下、1時間ごとにほぼ10%ごと減っていく状況。
13時(5時間後)、ほぼ半分に。
16時(8時間後)、20%を切った(『充電してください』表示確認)。
17時(9時間後)、10%を切る。再充電開始。
この結果で行くと、18時頃(10時間後)に電源が切れることになりますね。

テストB
今度は050Plusや同期、メールのアイドル受信を切った上でやってみました。
【前提条件】
050Plus 常駐させない
アカウントと同期の設定 → バックグラウンドデータの設定 OFF (ピクト表示灰色です 電池消費小)
メール NTTドコモ CommuniCase IMAPアイドル受信をOFF (電池消費小)
また、一切F-12Cは使わない状況。ただし1時間に1回、電池の残量を見るのに数秒画面をONにする程度は行った。
3GをON、Wi-FiはOFF。
【試験結果】
午前9:03に満充電(100%)から実施。
11:05の時点でさほどバッテリーの消費は認められない(99%)。この状態であれば全然減らない(4-5日もってしまう計算なのでテスト中止)。何も通信しないとすっげえ持つんだなこの機種。

テストC
引き続いて050Plusを立ち上げてどれだけバッテリーを消費するのかテスト
【前提条件】
050Plus 常駐させる(待ち受け)
アカウントと同期の設定 → バックグラウンドデータの設定 OFF (ピクト表示灰色です 電池消費小)
メール NTTドコモ CommuniCase IMAPアイドル受信をOFF (電池消費小)
また、一切F-12Cは使わない状況。ただし1時間に1回、電池の残量を見るのに数秒画面をONにする程度は行った。
3GをON、Wi-FiはOFF。
【試験結果】
午前11:05にほぼ満充電(99%)から実施。
13:05 残り97%(テスト中止)
減りは少し早くなったけれども050Plus はバッテリー浪費の原因ではなさそう。

テストD
引き続いて050Plusを立ち上げて、『メール』アプリIMAP10分ごと受信でどれだけ消費するかテスト
【前提条件】
050Plus 常駐させる(待ち受け)
アカウントと同期の設定 → バックグラウンドデータの設定 OFF (ピクト表示灰色です 電池消費小)
メール NTTドコモ メール IMAP 10分おき受信 (電池消費小)
また、一切F-12Cは使わない状況。ただし1時間に1回、電池の残量を見るのに数秒画面をONにする程度は行った。
3GをON、Wi-FiはOFF。
【試験結果】
13:05にほぼ満充電(97%)から実施。
18:05に75%残。

【まとめ】
結局、当方の環境ではCommuniCase IMAPアイドル受信が異常に電池を消費しているのがわかった。k-9の時も大差なかったような気がするんで、アイドル受信自体がよくないかも。テスト結果では、アイドル受信でなくてもG3+IMAPメール受信が想像以上に電力を消費する、ということもわかった。とりあえず、テストAに比べれば倍以上長く持ちそうな設定。
Excelでテキトーにグラフを作成しましたので、参考にしてください。