2012年3月4日日曜日

Linux エディタの変遷

LinuxやFreeBSDが世に発表されたころは、なんとも使いにくいOSだと当然思っていたが、苦労するところは、やはり日本語環境の構築であった。インストールしても日本語が打てる、もしくは編集できるところまで行き着くのに幾多の苦労を乗り越えなければならなかった。
現在のLinuxでは、ある程度日本語の環境は入ってインストールされるので隔世の感がある。気に入らないIMだったりもするのだが。

そういえば、まだ職場にセキュリティポリシーなどなく、大量のデータ処理を当然ホストで行っていた時代は、職場で必要になったレポートをBSDで打っていたこともあったっけな。当時は、かな入力のできるものがなかったのでBSDをやるときはローマ字入力をやっていたっけ。
余談だが、ローマ字入力は漢字を忘れてしまうような気がする。かな入力をやる人は漢字を思い浮かべてかな入力をするのに対し、ローマ字入力をする人は頭の中でローマ字に分解する動作をするため、漢字を思い浮かべず画面上で確認するだけだからだ。

懐かしい…。いまは、個人パソコンで仕事のデータなどもってのほかである…。IMだって、WindowsはIMEという形で固定化(細かく知らないが)されているが、Linuxの場合は、IM部分と日本語変換部分は分かれて存在し、いろいろな組み合わせができることがそもそもの不幸の原因か…。しかも、対応するアプリケーションまで規定されている。これは、cannnaに対応するEmacsです、なんていわれても素人にはわからんだろ。職場の机の下にPC-9821 Ne2が保存されているが、FreeBSD98が未だに動作している。統合デスクトップ環境(gnomeとか)に移行する前のもので、WindowManager(TWMとかFVWMといったもの)であるが、日本語は主にMuleで打ち込んでいた。で、印刷していたのでまったく素朴な時代であった。ximとかあったけど、今でいうIM部はtamagoじゃなかったかな。当時のこともう、十数年経つので思い出せない。この辺の技量が情報部門に異動するきっかけになったのではあるが、もう『隔世』だからね…。正直、昔のBSDでは内部の通信ポートとプロセスを理解しないと日本語自体扱えなかった…。

で、ひさしぶりにLinuxで昔ながらのエディタを使ってみた。それで昔のことを回顧しただけであるが。
私は、Vz使いでBSD上はViよりMule(Emacs)であったけれども、まずは端末エミュ上で動作する悪魔のエディタ『vi』から。端末がそのままエディタになるって当時から違和感があったんだが、DOS上のエディタと一緒なのか…。インターフェースがかなり特殊で、使いづらいことこの上ないのだが、手に付いてしまうと手放せないアプリになるらしい。端末自体が日本語とIMに対応してしまえば、比較的簡単に日本語入力できるな。


次に、Xアプリ化したvi『Vi IMproved』の画面コピー。操作性は前述Viと変わらないような…。Vi使いにはたまりませんな。

次はEmacs。IM部分をエディタに内包するので、OS自体が日本語困難だった自体はそれなりに価値があったが、今ではあまり意味がないような。それでも、エディタなので手に付いてしまえばかなりの生産力がある。私も4-5年、Muleを使っていたがとてつもなく高機能なエディタである。専門書も購入したが未だに使えるんだろうな。ただ、素人ユーザーから言わせてもらえば、Emacsは普通のIMに対応させるべきと思われる。基本的にローマ字入力だけだし。SCIMからはインライン入力が…。Emacsで『物書き』なんて、かっこいいな…。
改めて見ると、メニューバーが日本語じゃない。まだ、私のようなユーザーがEmacsを良く使っていたころは、このあたりも日本語化されたものがあったような気がする。後述するgeditが普及するまでは、viよりこちらのほうが私にとっては扱いやすいエディタであった。
これも、昔はviと同じく端末エミュ上で動作するものがあったが、CentOS 5で確認できたのはXアプリのものである。


最後に、geditを。これはメモ帳程度の機能しかないが、Laser Linuxで初めてgeditを触ったときに、やっとWindowsに対抗できるアプリが出てきたと思ったものである。なんせ、Unixの世界は変なこだわりがあって、素人を受け入れようとしないところが一番いけないところである。
Laser 5には、なんとATOK Xに対応したKinput2も同梱されていた。なにも考えずにATOK Xを組み込んでもATOKが動くという仕掛けになっていた。Kinput2はLinuxの世の中を変えましたな…。



そういえば、14年前、オムロンから『dp/NOTE Ver.1』というワープロが発売されて買って使ってみたが、なかなか斬新な感じで。メニューがESCだったりしたのでインターフェースは一太郎Ver.3あたりのパクリかってなくらい、で使いやすかったが、これもEmacsみたいにアプリの中にIM(当時はなんて言ったかな)が内包されていた。漢字変換はWnnだけど。驚くことに、当時Linux/BSDでは『かな入力』はできないもの、とされていた中で、かな入力のできる唯一のアプリであった。PC-98だったんで、キーバインドが多少異なりカスタマイズはかなり苦労して、結局サポートにも連絡したが対応機ではない、とサポートも音をあげてしまったが(といっても私としてはかなり感謝しているのだが)。
次いで、redhat Linux 6.2のパッケージを買ったな。ATOKも入っていたが、アプリがあまりない世界で、結局あまり利用価値が見出せなかったような。
前述したLaser 5 Linuxはこの頃のもの。ほとんどredhatと中身は変わらなかったけど、まともに使えるUnixがなくて、雑誌もパッケージも買い漁っていたような気がする。ATOK X for Windowsも購入したので、使ってみたらどんぴしゃだった。といってもKtermとgeditくらいしか使えなかったけれども。
サーバー環境は、redhat 9くらいから。fedoraとかELとか出る前だったから、やっぱり昔のことには違いない。今は、日本語環境とインターネット(ブラウザ、メール)で無線LANさえ組み込まれれば使用上、Windowsにも対抗できる世の中になったんだから、関係者(といってもほとんどがコミュニティやボランティアだけれども)ふんばってもらいたい。
日本語入力もIIIMFのATOK for Windows, 続いてATOK X3なんかも出ており、Linux標準では、SCIMやIBUSのデフォルト提供なんでまったく日本語には不自由しなくなってきている。で、OpenOffice搭載となったら、事務仕事までLinuxで出来てしまうようになってきている。サンマイクロのSolaris9(これは比較的最近…)も、フリー版でATOK for Windowsが搭載されていたのはど肝をぬいた。OSのつくりはLinuxよりもしょぼくて私が使ったのは毎日DNSを手動で起動しなければならなかったため(バグなんだろうな)、Linuxに乗り換えてしまったのであるが。

というのも、Microsoftがこの頃おかしいのだ。Vista以降のMSの商売方法やOSに対する考え方、機能実現の方法はビルゲイツの手法では無いような気がする。Vista以降のOSの中身はさらに分からないものであるが、LinuxやBSDはずっと変わらない姿を保ちつづけている気がするのだ(細かいところ、例えばIMなんかは本当に細かい変遷があり、この辺がユーザーに敬遠されてしまうのだが)。
実は、私はWindows 7でも失望していたがWindows 8でもMicrosoftがまたへんな方向を踏襲したな、としか思えなかった。Windowsの完成形はWindows 2000〜XP(versionは5.0-5.1.2600)であって、それ以降のものはまったく変なOSである。

以下Wikiより抜粋
米国の調査会社 Net Applicationsによると、2011年9月における世界のOSシェアはWindows XPが47.29%であり、いまだに首位にあるという
なんとも、OSの世界はこの先読めなくなっている…。

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