2012年3月6日火曜日

インターネット放送に意見する

帰りの電車が来ない。なんとも、山で鹿と衝突したそうだ…。ということで、駅の近所のホテルのアクセスポイントに乗り込んで打ち込み中。
本日の産経より
震災の際UstreamでNHKのニュースをネットで流したのは、広島市の中学生だったそうだ。彼は当然違法性の疑いがあることは認識していたが、それでもなお、『配信によって救われる命があるのではないか』と考えた、とのことである。
内心、びくびくしていたらしかったし、Ustreame社も『違法性の認識』があったが、この時は『放置』とし、さらに懲戒免職覚悟でNHK広報がツイートする。これによって社会に『公認』されたのであった。
確かに、刑法も民法も法適用の例外、超法規的措置や違法性の阻却事由を定めている。これが一般市民の意識レベルで機能した例である。
私もそういえば、帰宅難民となり志願して職場に待機中にAndroidでRazikoを聴いて、情報収集したことがあったな。まだ、自分のいるエリアではRadikoが開始されておらず、構わずRazikoを使用しニッポン放送に『こんなときだからエリア開放しろ。』と意見を言ってみたら、すぐに対応してくれた…。私の意見が効いたかどうかはまったくわからないが。
日本は変な『権利関係』を想像上作り上げるきらいがある。Radikoがエリア外で聴けない、なんてものも最たるものではないのか。結局、その『権利関係』を守りきれずに破綻、なんてことになりそうな予感がすごく匂っている…。

それに、県域のIPエリアと実際の放送区域は一致しないことに問題がある。県の中部地域まで関東の放送を聴けるところが、Radiko上では関東圏ではない、ということを『権利者』はどう考えているのだろう。

さらに、考えを進める。既存放送局はいわば著作権関係の『権利』に守られているが、インターネットで放送を実施するとなるとたちまちのうちに『権利者』の反感を買い違法だと騒がれ損害賠償の対象となってしまう。

インターネット時代になったからこそ、インターネット放送局の法的整備を要求するべきではないのか。情報インフラはすなわち放送インフラとなるのであって既存の放送局だけ(radiko)を守るものではなく、もっと自由にインターネット放送局の参加を促すことが総務省の役割ではないのか。国はどこでもそうだが、業界団体の言うことを聞きすぎていて一般消費者や世論、弱者の言うことには疎いようである。かつて国関係の経験者だからこそ厳しく申し上げる。国の業界偏向は昭和よりも平成になってから一層進んだ。

とはいっても、Razikoは好きなんですが。日曜日の午前中は大阪の放送局(つぶれかけたFM COCOLO)を聞いているし、朝は文化放送と決めている。いいコンテンツを提供すれば聴いてあげるのに、つまらない地域制限で権利者とやらを守ろうとする姿勢はいかがなものだろうか。むしろ、地域制限を撤廃したほうが権利者の利益のためになるのである。Radikoの言い訳はお互いをつぶさないための放送業界の欺瞞、と言わざるを得ない。
また、インターネット放送が日本において一般化しないのは、それが放送業界全体を守るための手法であるからだ。
だからこそ、非常時にはOKであり、平常時には×になってしまう。そもそも、平常時にも○であるために、総務省は関連法令の整備をせよ。

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