2012年3月4日日曜日

Linux エディタの変遷

LinuxやFreeBSDが世に発表されたころは、なんとも使いにくいOSだと当然思っていたが、苦労するところは、やはり日本語環境の構築であった。インストールしても日本語が打てる、もしくは編集できるところまで行き着くのに幾多の苦労を乗り越えなければならなかった。
現在のLinuxでは、ある程度日本語の環境は入ってインストールされるので隔世の感がある。気に入らないIMだったりもするのだが。

そういえば、まだ職場にセキュリティポリシーなどなく、大量のデータ処理を当然ホストで行っていた時代は、職場で必要になったレポートをBSDで打っていたこともあったっけな。当時は、かな入力のできるものがなかったのでBSDをやるときはローマ字入力をやっていたっけ。
余談だが、ローマ字入力は漢字を忘れてしまうような気がする。かな入力をやる人は漢字を思い浮かべてかな入力をするのに対し、ローマ字入力をする人は頭の中でローマ字に分解する動作をするため、漢字を思い浮かべず画面上で確認するだけだからだ。

懐かしい…。いまは、個人パソコンで仕事のデータなどもってのほかである…。IMだって、WindowsはIMEという形で固定化(細かく知らないが)されているが、Linuxの場合は、IM部分と日本語変換部分は分かれて存在し、いろいろな組み合わせができることがそもそもの不幸の原因か…。しかも、対応するアプリケーションまで規定されている。これは、cannnaに対応するEmacsです、なんていわれても素人にはわからんだろ。職場の机の下にPC-9821 Ne2が保存されているが、FreeBSD98が未だに動作している。統合デスクトップ環境(gnomeとか)に移行する前のもので、WindowManager(TWMとかFVWMといったもの)であるが、日本語は主にMuleで打ち込んでいた。で、印刷していたのでまったく素朴な時代であった。ximとかあったけど、今でいうIM部はtamagoじゃなかったかな。当時のこともう、十数年経つので思い出せない。この辺の技量が情報部門に異動するきっかけになったのではあるが、もう『隔世』だからね…。正直、昔のBSDでは内部の通信ポートとプロセスを理解しないと日本語自体扱えなかった…。

で、ひさしぶりにLinuxで昔ながらのエディタを使ってみた。それで昔のことを回顧しただけであるが。
私は、Vz使いでBSD上はViよりMule(Emacs)であったけれども、まずは端末エミュ上で動作する悪魔のエディタ『vi』から。端末がそのままエディタになるって当時から違和感があったんだが、DOS上のエディタと一緒なのか…。インターフェースがかなり特殊で、使いづらいことこの上ないのだが、手に付いてしまうと手放せないアプリになるらしい。端末自体が日本語とIMに対応してしまえば、比較的簡単に日本語入力できるな。


次に、Xアプリ化したvi『Vi IMproved』の画面コピー。操作性は前述Viと変わらないような…。Vi使いにはたまりませんな。

次はEmacs。IM部分をエディタに内包するので、OS自体が日本語困難だった自体はそれなりに価値があったが、今ではあまり意味がないような。それでも、エディタなので手に付いてしまえばかなりの生産力がある。私も4-5年、Muleを使っていたがとてつもなく高機能なエディタである。専門書も購入したが未だに使えるんだろうな。ただ、素人ユーザーから言わせてもらえば、Emacsは普通のIMに対応させるべきと思われる。基本的にローマ字入力だけだし。SCIMからはインライン入力が…。Emacsで『物書き』なんて、かっこいいな…。
改めて見ると、メニューバーが日本語じゃない。まだ、私のようなユーザーがEmacsを良く使っていたころは、このあたりも日本語化されたものがあったような気がする。後述するgeditが普及するまでは、viよりこちらのほうが私にとっては扱いやすいエディタであった。
これも、昔はviと同じく端末エミュ上で動作するものがあったが、CentOS 5で確認できたのはXアプリのものである。


最後に、geditを。これはメモ帳程度の機能しかないが、Laser Linuxで初めてgeditを触ったときに、やっとWindowsに対抗できるアプリが出てきたと思ったものである。なんせ、Unixの世界は変なこだわりがあって、素人を受け入れようとしないところが一番いけないところである。
Laser 5には、なんとATOK Xに対応したKinput2も同梱されていた。なにも考えずにATOK Xを組み込んでもATOKが動くという仕掛けになっていた。Kinput2はLinuxの世の中を変えましたな…。



そういえば、14年前、オムロンから『dp/NOTE Ver.1』というワープロが発売されて買って使ってみたが、なかなか斬新な感じで。メニューがESCだったりしたのでインターフェースは一太郎Ver.3あたりのパクリかってなくらい、で使いやすかったが、これもEmacsみたいにアプリの中にIM(当時はなんて言ったかな)が内包されていた。漢字変換はWnnだけど。驚くことに、当時Linux/BSDでは『かな入力』はできないもの、とされていた中で、かな入力のできる唯一のアプリであった。PC-98だったんで、キーバインドが多少異なりカスタマイズはかなり苦労して、結局サポートにも連絡したが対応機ではない、とサポートも音をあげてしまったが(といっても私としてはかなり感謝しているのだが)。
次いで、redhat Linux 6.2のパッケージを買ったな。ATOKも入っていたが、アプリがあまりない世界で、結局あまり利用価値が見出せなかったような。
前述したLaser 5 Linuxはこの頃のもの。ほとんどredhatと中身は変わらなかったけど、まともに使えるUnixがなくて、雑誌もパッケージも買い漁っていたような気がする。ATOK X for Windowsも購入したので、使ってみたらどんぴしゃだった。といってもKtermとgeditくらいしか使えなかったけれども。
サーバー環境は、redhat 9くらいから。fedoraとかELとか出る前だったから、やっぱり昔のことには違いない。今は、日本語環境とインターネット(ブラウザ、メール)で無線LANさえ組み込まれれば使用上、Windowsにも対抗できる世の中になったんだから、関係者(といってもほとんどがコミュニティやボランティアだけれども)ふんばってもらいたい。
日本語入力もIIIMFのATOK for Windows, 続いてATOK X3なんかも出ており、Linux標準では、SCIMやIBUSのデフォルト提供なんでまったく日本語には不自由しなくなってきている。で、OpenOffice搭載となったら、事務仕事までLinuxで出来てしまうようになってきている。サンマイクロのSolaris9(これは比較的最近…)も、フリー版でATOK for Windowsが搭載されていたのはど肝をぬいた。OSのつくりはLinuxよりもしょぼくて私が使ったのは毎日DNSを手動で起動しなければならなかったため(バグなんだろうな)、Linuxに乗り換えてしまったのであるが。

というのも、Microsoftがこの頃おかしいのだ。Vista以降のMSの商売方法やOSに対する考え方、機能実現の方法はビルゲイツの手法では無いような気がする。Vista以降のOSの中身はさらに分からないものであるが、LinuxやBSDはずっと変わらない姿を保ちつづけている気がするのだ(細かいところ、例えばIMなんかは本当に細かい変遷があり、この辺がユーザーに敬遠されてしまうのだが)。
実は、私はWindows 7でも失望していたがWindows 8でもMicrosoftがまたへんな方向を踏襲したな、としか思えなかった。Windowsの完成形はWindows 2000〜XP(versionは5.0-5.1.2600)であって、それ以降のものはまったく変なOSである。

以下Wikiより抜粋
米国の調査会社 Net Applicationsによると、2011年9月における世界のOSシェアはWindows XPが47.29%であり、いまだに首位にあるという
なんとも、OSの世界はこの先読めなくなっている…。

SCIM Anthyでの 『ろ』と『ー』の問題【CentOS 5】


この問題はディストリビューションに関係なく発生しているようで、なぜ対応しないのかが大変不明。だからLinuxはダメなんだと思う。で、とりあえずその修正。修正してもWindowsのようにはいかないので、前もってご了承を(例えば、CAPS Lockがかかると『い』が『ぃ』になるとか…)。

まずはrootで、
1 /etc/X11/Xmodmapをエディタで呼び出す。
2 最後尾にkeycode 211 = underscore を書き足す。
3 SCIM入力メソッドの設定 を呼び出し、Anthy→かな入力 の設定画面にする。4 JISかな配列のカスタマイズ ボタンを押して、下図のように書き換える。要するに、『\』を打ったら、『ろ』ではなく『ー』が入力される、ように修正。なお、『_』を打ったら『ろ』が入力されるのは初期値なので修正の必要はない。
5 で、Xを再起動。 
6 制限ユーザーで設定したいときは、rootで設定したXmodmapをホーム直下にコピーしてあげて(.Xmodmapにリネームしてもよい)、Xを再起動すると次回ログイン時にこのXmodmapを使うかどうか聞かれるので、下図のように追加してやる。また、このメッセージをこれ以降抑止するように設定するといいかな。
これで、かなり日本語環境が快適になるはずだ。不具合もあるが、シフトキーを押さなくても『_』が入力可能になるくらいか…。


2012年3月3日土曜日

CentOS 5.7をFMV-P8215Tで使ってみた

例の電脳売王で買ってしまったFMV-P8215T(7,999円)。貧乏人だから中古マシンしか買えないが、XP Homeのコアシールが付いておりOSもインストールされているとあって、お買い得と判断した。
中古マシンだから、筐体はさほど期待していなかったが、さすが電脳売王さん。手垢などは見られないくらいきれいにしてくれる。DELLのD430のときもそうだったがなかなかの掃除上手である。

で、最初に入っていたOSはXP Homeであり、起動直後アクチをかけるパターンであった。これで、一日だけ使ったが、翌日、XP Professionalをインストール。二、三回インストを試した後、適当なパターンをイメージ化し、WindowsPEでリカバリ領域を作成、そこからリカバリをかけることにした。
しかし、これで満足するような私ではない。こんな小さくて変なPCをWindowsで使うなんて楽しくはない。いや、使うという表現は正しくはない。私の趣味はパソコンを使うことではない。パソコンを使えるように作り上げるのが25年ほど続けてきた俺の趣味。

いろいろなOSをインストールしてみたが、結論から言うと、今回はCentOS 5.7がナイスマッチであった。FreeBSD、Solaris、MacOSX、Debianとやってみたが、しっくりくるものがなかった。BSD系統のものはインストさえもやらせてもらえない。まあ、これは致し方ない。おそらく、DELL D430のときにインストしたVineもなかなか健闘するだろうが、今回は実験対象には含んでいない。
また、今回は非力なマシンということもあって、あまり多くは望まないことにした。やったことは、例のごとく、MacOSXのはりぼてをかまし(OS-X Leopardを使用)、マウスカーソルを変更(Mac4Linテーマのカーソル部分を抽出)、Thunderbirdをインストール、で、OpenOfficeを削除し、LibreOfficeを全部入れておいた。また、私にしては珍しく、Windows Xpを消しているのでMS フォントもLinuxフォント部分に突っ込んでいる。マルチブート時にはライセンス問題が発生するが、そもそもWindow自体を不要としたのでたぶん大丈夫なはずだ…。
で、ブラウザ、Office、メールくらいしかできないPCが完成した。実は、私の日本語入力は『かな入力』で、CentOS 5.7はAnthyを採用しており、FMV-P8215Tのちょっと変則日本語キーボードでは、『ー』を入力するのにシフトキーを押しながら『¥』キーを押さなきゃいけない、という事実が露見した。普通に『ー』を入力しようとすればなぜか『ろ』が入力されてしまう。これは、たぶん『ろ』キーが『\』キーのためらしい。『¥』なのか『\』なのかAnthyでは判断が付かないのだろう。『キー』と打つと、『きろ』となってしまい不便この上ない。


昨日までATOK for Windowsも入れていたのだが、ATOKならさすがにこのあたり判断してくれていた。ただし、ATOKを使用すると、OpenOffice Writer(Libreも同様)が起動しなくなる。これは、OpenOfficeとATOKのIIIMFの機能が重なるために起きているようである。私には、まだこの部分の解決はできていない。
で、最後にプリンタ(EP-803AW)を入れておしまい。気をつけなければいけないことは、ネットワークを使用したエプソンプリンタは『LPD(LPR)』プリンタということである。これさえ気をつかえば、Linuxでも簡単にプリンタを導入することができる。
ATOK でLibreOffice使えねえかな。

【FMV-P8215T CentOS5.7関連】
SCIM Anthyでの 『ろ』と『ー』の問題【CentOS 5】
Linux エディタの変遷
ATOK for Linux と OpenOffce(LibreOffice)のハング問題
iiimfのアップデート問題
印刷できない…。(selinux問題)

2012年2月12日日曜日

Sister Act を英語で鑑賞してみた

Sister Act 2 は印象に深く残っているのだが、その前作はあまり印象に残っていなかった。たまたまYou Tubeで小分けであるが見られたので、夜遅くまでかかって見てみた。
英語は全くわからないけれども、なんとなくわかる。クラブの歌手が殺人事件を見てしまって命をつけねらわれて修道院にかくまわれ、たまたまへたくそ聖歌隊の指揮をとったのをきっかけにゴスペルに変身させてしまい、みんなと理解を深めていくというストーリー。

主演しているWhoopi Goldberg のパフォーマンスの高さももちろんであるが、恥ずかしがり屋で声も大して出せないようなWendy Makkenaが、この聖歌隊でシャウトするまでに成長した姿は見物である。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=PYoCGwqSbHg
この人の容姿はなんとなく日本人好みな感じがする。今じゃ、艶っぽいおばさんのような気がするが。
驚くことに、この映画に出演しシャウトを見せつける女性たちはほとんどが本職女優と言うことである。アメリカ芸能界の層の厚さを見せつけられるわな。Whoopi Goldberg もWendy Makkena も日本ならいっぱしのシンガーのレベルである。Wendy Makkena のリードや"合いの手"なんかは抑えつけられていたか弱い声が解放された瞬間、というくらいほんとほれぼれするレベル。
この頃は日本の女優さんもほれぼれするくらいのシンガーいないわけじゃないけどね。
* Wendy Makkenaの歌声はAndrea Robinsonによる吹き替えという情報がある。音声を分析したところ、『Hail Holy Queen』では、透明感のあるきれいな声で高温部まで歌っているのに対し、『I Will Follow Him』やAct2の『The Teacher Song』はパンチ力のある比較的だみ声のシャウトである。Hail Holy Queen』では映画中に当てレコのような形跡(リードが継続しているのに本人はこれで良かったのかと戸惑うシーン)が残されているので、Andrea RobinsonによるものはHail Holy Queen』だけなのかもしれないが、映画ではアフレコ当てレコは珍しくないので、その他の曲についても、本人の声もしくはAndrea Robinsonによるものと双方可能性が高く断定はできない。米国版Wikiでは、Andrea Robinsonについて、もっとも有名な仕事はSister Act Sister Act2 のメアリーロバート役(Singing)と書かれているので、かなり濃厚な線だろう。本人や監督はどう言っているのだろうか…。
日本語版Wikiでも、本人の歌唱は『Ain't No Mountain High Enough』のみ、とされているが、その歌唱はHail Holy Queen』の声に似ているような…。決して歌は下手ではない。

このシリーズの最高傑作はこれかなあ。どれもいいけど。
http://www.youtube.com/watch?v=0DmZr-YZXqc&feature=related

この映画では黒人Whoopi Goldberg が白人聖歌隊の指揮をとり、今では黒人ハーフの大統領が国の指揮をとっている。昔からこういう国だったなら、日本国も戦争に引きずり出されなくて済んだだろう。なぜか最後は政治的に終わる(笑)。

2012年2月11日土曜日

おんぶ紐着用のすすめ。

今日は幼稚園の学芸会であった。それ自体は、何事もなく終了したのであるが、その後起こった事故について書こうと思う。
もう用はなくなったので、嫁とともに体育館の出口で靴を履き替えていたその瞬間。後方で『ごん!』という鈍い音が。後ろを振り返ってみると、なんと、とある母親のかたが仰向けに倒れており、その後方には1歳くらいの幼児が仰向けに倒れていて、激しく泣き始めた瞬間であった。
体育館であるので、体育館の出口と玄関とは20センチくらいの段差が生じている。どうやらそのお母さんは、その段差を踏み外したか、段差により勢いをつけてしまい思い切り足を踏み外したかのどちらかと思われた。さらに、抱えていた子供をその勢いで手放してしまい。頭を打ったのではないか…。
入り口付近にいた先生が『大丈夫?!』『お子さん、(段差を指さし)ここで頭、打っていたかもしれない…』と語りかけていたものの、その母親の方は後ろを見て呆然としていた。
子供は泣いている状態である。頭を打ったときに瞬間的に泣き始めた場合は、おそらく大丈夫とも言われるが、脳出血により急変する場合は翌日以降に発生する場合も多いので、要注意であろう。ただ、現場の状況からして、母親が頭を打ってしまい脳しんとうの状況だったのかもしれない。

少なくとも、子供を抱えての移動は、軽易にするものではなくおんぶ紐などで固定して移動すべき話である。近頃のお母さん方は車で移動し、また、腕力も向上したので普通にだっこしてひょいっと移動するパターンが多くなっているが、少しの距離でも、特に今回のような幼稚園や学校のような段差があったり、人混みに紛れてしまうような場合は危険なので、おんぶ紐を着用した方がよい。私自身は非常におんぶ紐を多く着用してきたし、三番目の子などは私のおんぶ紐でないと、寝なかったし(笑)。
乳幼児をもつお母さん方に呼びかけたい。屋外では、危険がいっぱいなのでおんぶ紐で大事なお子さんを固定してもらいたい。移動は慎重にしてもらいたい。
子を持つ親として、非常に心を痛める事故であった。

2012年2月8日水曜日

消費税増税後の日本の予測

そういえば、かの森永卓郎氏が『労働者の年金の企業負担分1/3を免除する代わりに消費税増税5%で補填』と言っていた。森永卓郎氏は反増税の急先鋒と言ってよい。そんなことは社会正義として許されないってなくらいに断罪していた。
税調決定を岡田さんが言うくらいだから、すでに政界と財界の取引が成立しているんだろう。財界にとっては、今の政界は大変に扱いやすいんだろうな。岡田さんはあのジャスコ岡田である。その権力と威光はジャスコを背景に輝いている。労働者の年金を企業側が支払わないとすれば、その分、企業の自己留保が増えるというからくりである。ますます、企業家国家日本となってしまう。

私はこのブログの冒頭に、『消費税と失業率』は関連するとした。そこにも書いてあることだが、自殺率も微妙に関連付いている。消費税3%導入直後の日本は未曾有の好況下にあった。労働者はそれなりに貯蓄をし、利益率の高い製品が海外でも売れていた。なので、消費税は導入しやすい状況下にあった。また、経済が拡大傾向にあったので、消費税の持つ経済の縮退効果ももちろん薄れ、しかも、法人税と所得税の減税がなされたのでそれにより浮いたお金が投資に向かい、平成5年頃までは拡大経済の一途をたどる。唯一、消費税による経済運営がうまくいった時期であっただろう。しかし、だんだんと労働者の『余裕』を消費税が蝕んでいくことになる。
1997年4月に消費税率が5%になったのを機に、労働者の統計は一変することになる。まず、それまで失業率が3%未満であったのに、上昇を続けることになる。これは、日本型の経済モデルの特質であり、消費税上乗せ部分が大衆の購買意欲の減退部と一致するために起こる現象である。要するに、消費税をかける前の価格で100%売れると見込んで生産および販売をかけるが、消費者は、消費税付加後の金額を見て購入の可否を決定するために、5%の消費者は購入せずに逃げていってしまう現象が発生する。きっちりと生産、販売を行う日本ならではの問題である。その対応として、資本、投資、雇用、経費、生産といったものを企業側は5%減ずるのである。そういった構造であるので、日本人のようにきっちりと計算できる特質を有する国民においては消費税=失業率といっても間違いではない(ヨーロッパや合衆国ではきっちり計算しないので、消費税が性に合っているともいえる)。
また、税率の上昇は、『余裕』のない無職者、労働者、自営業者といった所得弱者の生活をも奪うことになった。すなわち、『自殺率』の上昇である。1997年4月の税率上昇の1年後、加速度的に自殺率は上昇に転じ、高いレベルで落ち着くことになる。
* 某資料サイトでは、経済と自殺率の因果関係はない、と解説されているが、『貯蓄』や『生活力』、『失業手当』がクッションとして存在するのですぐに増えないだけのことである。

これまで、消費税と失業率は関連する、といった学者はいたが、メカニズムを説き明かす学者はいなかったので拙論を書かせていただいた。別にこんなものは原論的な計算は全くいらない。ただの推論である。しかし、自殺率と消費税の関連を言う学者はそうそういないので、これを計算で証明すれば、博士号がとれるかもしれないよな(不謹慎ではあるが)。まあ、貯蓄があるので、すぐには統計的には証明されない。少なくとも証明されるのは、一年後である。

結局、消費税が導入されれば、生産力は購買意欲の減退により10%の削減を強いられる。それとともに、失業率は10%を目指して上昇を始めることになり、自殺率も年間2万人レベルを目指して上昇を始める。
言っておくが、震災の犠牲者、行方不明者と同様の数値が消費税によってもたらされることになる。これは明らかに人災と呼べるだろう。ここまで書くと、財務省、財界、政界は悪魔に思えてきて、普段極悪人と判別がつかない小沢氏は観音様に思えてしまう(笑)のである。別に小沢さん応援しているわけじゃないけどな。

しかし、企業家は太るだけではない。未だ気づいていないだろうが、消費税の効果は会社自体も縮小経済の波に引きずり込む。仕入れも販売も10%の価格が付加され、生産設備も縮小、本来のレベルよりも10%も労働者を切るのだから、それ自体不経済そのものである。景気回復は望めず、縮小再生産の一途をたどることになる。この事実を指摘する経済学者、財政学者もいない。言ってみれば、自業自得と言うところだが、それより我が日本国はどうなってしまうのだろうか…。

2012年2月5日日曜日

小沢氏が消費税増税で造反する…とのこと

相変わらず、迷走だらけの民主党政権である。国家公務員の給料削減は三党間での合意が得られたが、公務員側団体が求めており、今回の給与削減の条件として妥結していた『労働三権の修正(具体的には協約締結権)』は未だ可決の目途はたっていない…そうである。もしかして、もうOKになっているかもしれないが。
公務員からすれば、選挙の時は小沢民主党に入れろ、と言われ、震災により火事場泥棒的に『給与削減』されるのは政治的な裏切り行為に他ならない。さらに、震災による給与保障を民間まで含めて政治はしなければならないのに、どうなってしまうんだろう。民間平均給与が年間400万というのに、公務員はそうではない。もっと下げろ、というが一方的に公務員の給料を下げるのは筋道が異なる気がする。そういった議論が成り立つのであれば、証券、銀行、医師といった業種の給料をまず下げるべきだろう。また、派遣、臨時雇用の給料保障を手厚くする必要がある。公務員の給料を下げるのではなく、まず、年間400万円の分析を行う必要があると言うことになる。さらに言えば、バブル破綻以降の20年間の経済政策が企業家の言うとおりにしてきた、と言うことにならないか。労働者の分配を収奪、搾取していることに他ならないか。所得の再分配が機能していないと言うことにもなるが、これに失敗しているのは、国の経済政策が誤っている、と言うことに尽きるだろう。私はマルクス信奉者ではないが、日本のように混合経済(修正資本主義)を行う国はマルクス経済による分析を行い、見合う政策を実施しないと、バランスをたちまちのうちに失ってしまうのである。

現在、消費税増税が議論されているが、本来社会保障施策と含めて本件増税は議論されるべきだったと小沢氏は言っている。さらに、故西岡参院議長は遺稿になった産経寄稿の中で、現在の政治的課題は震災、ではない、震災復興は重要であるが、本当に論じなければならないのは社会保障政策である、という意味のことを書いていたような。

ここにきて、信を持つ小沢氏が立った。消費税増税について、『筋道が違い、経済政策でも間違っている』と言い、造反について言及した。党内には反増税派が100人ほどくすぶっていることになる。まさに、小沢新党的な様相を呈してきた。民主党の『主宰』者鳩山氏も同調するであろう。そうなると、まさに党を二分することになるし、当然衆議院での可決もできない。野田総理にとっては八方塞がりとなる。

なぜ、増税してはいけないのか。常々私はこれを言うのだが、バブル破綻以降、経済政策的には間違った経済政策を行い、そのまま放置しているのである。現在の状況が、企業の自己留保が多い、という意見が多いし、確かに震災という状況下でも自動車各社は健闘した、と本日伝えられているが、なぜこれに目をつけないのか。民間給与が低いのは単純に言えば、強くなった労働者を叩き企業家の『国際競争力』を支援するためであった。しかし、国内の労働者がその結果分断、疲弊し、企業のみが潤うのであれば、一時的にでも『法人税増税・累進性の増加』に舵を切らなければいけないのである。
現在の状況は、もはや企業家、財務省、総理大臣の詐欺的な騙し合いでしかない。総理に求められるのは、純朴さでは決してなく、人を見る能力、全体をみる能力である。このまま、国民が収奪され疲弊するか、国内経済を浮揚させるか、良い分岐点に私の目には見えるのである。

ここに書かれた内容は決して難しい内容ではなく、私が高校生の時代に『政治経済』の教科書に書かれていた内容である。松下政経塾の出身である、総理や前原さん、またその他財務省出身者で海外留学経験のある民主党議員の見識を私は非常に疑っている。一体何を勉強してきたのか。むしろ、高校生を経済運営に参加させた方が良い結果となるだろう。そういう意味で、今回の小沢さんの言は経済のわかる人、という印象を強くさせたのであった。