2021年7月17日土曜日

熱海市 土砂崩れでの水路について (公務員の本質からの分析)

 公図を確認していないので書くかどうか迷っているのだが…、崩落してしまった盛土をしていた部分には、公図上の水路はなかったのだろうか。

 もし、水路があれば、河川管理者は原状復旧、機能復旧もしくは付替えの処理を指示できたはずである。河川管理の権限からすれば、盛土全体の撤去は無理だと思うが、河川の機能だけでも確保しておけば、今回のような大規模な崩落は防げたはずである。

 これは、もし、水路が公図上にあったら、という仮定の話である。


 ここからは、私特有の穿ったものの見方をしたい。

 実は、公図上の水路、赤道というのは、平成13-16年に市町村に一括譲与され、市町村で底地と機能管理(河川占用)を行うことになった。それまでは、国有財産部局長である県知事の管理であった。実はその頃でも、ある程度大きな市では機能管理を土木事務所から任されていたのだが、熱海市ではどうだったのだろう。

 要するに、急激に国県市の関係が変更され事務の編成を組み直している最中に、普通ではない、悪質な業者による重大な違反事件に内包する河川の埋立事件が発生した、ということになるが、河川機能管理の担当者がこの事態に突発的に反射的に対応できたかどうか、非常に気になるところである。なぜ、こんなことを言うか、実は国有財産の一括譲与『地方分権一括法』(地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律)が、静岡県特有の『権限移譲』とあわせ、熱海市のように小さく、産業構造が第三次に特化し、神奈川県熱海市と誤解を受けるくらいの県境のまちで過重な負担を強いていたのではないか、と私は勘ぐっている。

 熱海市では本件を『盛土の問題』としてとらえていたことは、ほぼ間違いないが、熱海市の盛土担当からすれば、『森林法(県農林事務所)は逃げた。市の森林法は終わった(小規模林地開発)。県の産廃は指導だけで終わった…、宅地でないから開発規制はかからない。神奈川からダンプは数珠繋ぎに来る。オレだけ取り残された。あとはテキトー県条例の盛土でやるしかないじゃん。』と鬼気迫る状況下で、河川担当と十分な協議ができたのであろうか。

 もしかしたら、『知らなかった』という可能性もある。

 いずれにしても、金科玉条の地方分権一括法が、実は問題の発端をある意味で担っていたのではないか、ということを言いたいのである。法制度が狂っている。

 少なくとも市民の安全や公益に直結したり、行政処分に関わる部隊については、行政改革という人気取り政策はもうやめるべきである。確実に不効率化をもたらし、大事なものが奪われる結果しかない。行政処分と行政サービスを国やえらい大学の先生方も混同している、のではと、この頃思う。今人事施策で実施されている業績評価制度も、崩れたという結果を見せつけられると、公務員の本質からかなり外れたことをやらされている実感しかない。崩れなければ業績は良くなるのか。業績評価が良ければ崩れないのか。まったく馬鹿馬鹿しい。これらの公務員諸氏の意見を承りたいと思う。

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