2011年10月6日木曜日

素人ながら小沢氏裁判の行方を論ずる

本日夕方、J-WAVEを聞いていたら、ジャーナリストの大谷昭宏氏が意見を述べていた。
あらすじは、検察が小沢氏は一度クロと言ってみたものの、証拠不十分で起訴をあきらめたのに、検察審査会が起訴しろと言うのでしょうがなく起訴して裁判となった、と言うものである。
大谷氏はこう断ずる。
『小沢氏が無罪であっても、有罪であってもこれは大問題である。有罪ならば、検察が二度あきらめた事案なのにそれが有罪となると言う検察の立場(意義)が微妙となるし、無罪ならば、今度は私人に対し嫌疑をかけたまま世の中に影響を与えてしまう検察審査会の存在意義が全くなくなってしまう。』(先生はこういう表現をしなかったかもしれない。が意味はそうずれていないだろう。)
この裁判は、私が思うに世の中のエネルギーを異常に浪費してしまう事件で、難しいと思う。先ほど、大谷氏のHPを見てきたが、『状況証拠だけで判断してしまうのは、えん罪の温床となる』という言葉が印象的である。

しかし、この事件はわかりにくい。罪状は『虚偽記載事件』であるので、何かの記載をだまして書いた、ということらしいが、正直、国民は『贈収賄』事件の立件だと思っている。で、金まみれの小沢氏を排除しろ、となってしまう。何かが違うんじゃないかな。やっぱりこの国はファシズムが進みつつある。

正直に書こう。小沢氏の政治団体である陸山会は金持ちの小沢氏から借り入れを行い、それを政治資金収支報告書に記載しなかった、というのが今回の案件である。私は、これだけを聞くと『微妙…』としか言えなくなる。これ自体が犯罪になるかどうか、疑わしいと思える。だが、銀行融資等も記載する決まりになっているらしいので、これは事務方のミス、と言っても良い。これだけだと、小沢氏の立件はできない。
検察側は独自のストーリーを作ってしかも、国民感情を味方につけて立件している。
検察は、『政治資金報告書になぜ記載をしなかったのか』ということに目をつけた。ここに、何らかの故意があれば立件できるかもしれないと考えたのである。
asahi.comによれば、小沢氏からの借り入れのタイミングと同時期に、中堅ゼネコン「水谷建設」から裏金5千万円を受け取ったと言及。「収支報告書に4億円を記載すれば、マスコミから原資を追及され、水谷建設からの5千万円も明るみに出ることを恐れた」
としている。貧乏人に言わせれば、これはおかしい。隠しておきたいものがあれば、ほかのものを隠そうとする意志が働くかもしれない。Aを隠しておきたいのでBも隠す、ということはあり得ない。Aを隠したいからBをさらすのが人間の心理であろう。言い切ることは危険である。
こうでない場合もある。Aの中にBを包含する場合である。この場合、AもBも隠そうとするだろう。となると、小沢氏が献金を受けて、それをそのまま土地購入に充てた場合が該当する。
これだけを書くと、後者のあらすじにより立件は可能だろう、と思ってしまうが、実は土地の購入代金が4億円であり、その後に秘書が献金を受けた5千万円も含めて1億円であり、帳尻が全然合わないのである。
で、実際の土地取引は銀行融資を受けているとのこと。これは、政治資金報告書に記載があるが、この支払日を2004年10月と書くべきところを2005年1月と書いたことが今回の罪状である。

よく西松建設云々という話も聞くが、これも同規模の献金であり、全部あわせても購入代金の半分にも満たない。

で、国民も裁判官もなんだかわからないから有罪にしちゃえ、悪いやつだと思っちゃえ、と言う気分にさせてくれるのが今回の事件である。確かに、微妙に悪い点が積み重なって、あいつは悪いやつだ、って心の中で断じてしまっている部分は否定できない。これを検察は利用しているが、どうも、そのでっち上げ方が厚生労働省の部長を立件したときの構図に似ていなくもない。
指示があるかどうか、金のやりとりがあるかどうか、これを積み重ねてわけわからなくさせて善良な市民をクロにさせてしまうやり方である。言ってみれば大変危険な手法である。今回は贈収賄で立件しているわけではない。幸運にもこの拙文を読んだ方はこのことだけは忘れないでいてほしい。

本来、この問題は『虚偽記載』で争うものではなく、『未記載』の献金部分が問題である。この部分は『使途不明金』となっているかもしれない。ごちゃ混ぜにしてしまうと、真実は見えないし、法的にも正しい裁判ではなくなってしまう。

組織で働いたことのある人ならば、日付を空白にして請求書をもらったりしたことがあると思う。そうしないと処理に時間がかかり契約上の支払いのルールを守れないからだ。あまりいい話ではないが、これをいちいち『有印私文書偽造』で起訴していたらほとんどの日本国民は起訴されてしかるべき、という妙な事態となってしまう。土地や家を買った人ならば、書類を多数作成しなければならないが、それらすべてが正しい日付だろうか。案外、関係者に都合のいい日にちになっていたりする。これをすべて違法と呼べるのであろうか。
今回の事件も裏金を隠すのが目的ではなく、なにか事情があって処理日を翌年度に繰り越す必要があったのだが、当の本人たちはその事実を忘れてしまっているのが今回の事件の真相ではないか。もしくは、何か事情があって隠そうとしているのだが、もともと国をあげて裁判をするような性質の事件ではない。罰金程度の話ではないのか。虚偽記載の本質は、たとえば取引先の要請があったり、税法上の取り扱いだったりするのではないか。本来はこの事件、つまらないことをつついて、やはり政治家は金まみれだ、特に、小沢は噂どおり汚れた政治家だ、と国民に対し信じ込ませ、あたかも贈収賄があったかのように偽装させているのである。

もし、私が裁判官だったら、『検察側に訴の利益なし』で却下する。個人の政治団体に主催者が金を貸したり返してもらったり、土地を買ったり、日付が違ってたり、という問題はたいしたものではない。道ばたの1円玉を拾って側溝に捨てたら通貨毀損で訴えられたようなものである。しかし、検察側が西松建設や水谷建設の裏金を立証して、小沢氏が受注の便宜を図っていたことを立証したのなら、これは大問題であるが、これは『虚偽記載事件』でなく別の事件でやるべき話である。

それを各マスコミもはやし立てる。小沢氏に対して、金の出所を明らかにせよ、と書いている。なら、新聞記者も財布や決算の中身を一円残らずその使途を明らかにできるのか。あの産経でさえも議員辞職を求めている。なんか、いやな裁判である。虚偽記載が真実ならば金の出所を明らかにする必要はない。しかし、贈収賄事件ならばその必要が生じる。裁判所も国民もこのことは気づかないといけない。

法学論的にもこの裁判は健全ではない。また、日本国民もこの裁判を看過し、迎合すること自体、病んでいるとも思う。法治国家としてのわが国の行く末が大変心配である。

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