2022年7月3日日曜日

戦後国際社会の日本の立ち位置

 ウクライナとロシアの戦争を目にする度に、戦後社会の不思議さを感じる。どんなことかというと、今は合衆国とヨーロッパ諸国との連合体に日本は位置しており、ウクライナを支援する立場であるが、なぜ、第二次大戦のあの10年の期間だけ、対極的な立場になってしまったか、ということに尽きる。

あの、10年の期間だけ、合衆国はロシア、中華と仲良くしていた、ということも不思議である。

今なら、そんなバカな…、という連合を、二国はそれぞれ選択していたのである。日本はドイツと組まされ、合衆国は中国、ソ連と組んだのである。

あまりにもお互い短絡的だったのか…、ただ当時の日本は反植民地、反人種差別、反共産という国是であったことは明白であり、これは、なんと連合国から日本が奪取・進出した地域の方々の国としての独立により世界に宣言されることになる。結果、日本兵が現地に残留し戦後旧宗主国と戦ったことは大きい。アジアは一部を除いては、日本を特別扱いしてくれる。これは、それらの国の礎は日本人の犠牲が伴っていることを理解しているから、らしい。知らないのは、日本人中国人朝鮮(韓国)人だけである(笑)。

すなわち、今の国連の人種平等、互恵の精神は日本の八紘一宇のコピーとも言えるのではないか。日本は戦争に負けたがその崇高な精神はその後の国際社会に浸透したと誇ってもよいのではないだろうか。

そういった意味では、合衆国が日本に歩み寄ったのであり、戦前の日本が果たしていた地域社会での役割は合衆国が果たすことになる。

その証拠に、合衆国は、日本とは二度とやりたくないはずである。まともに戦艦空母が機動力を出し合う消耗戦って結局日米独くらいにしかできないし、やりあえば被害はお互い甚大である。また、日本の技術力や精密性は合衆国はできない芸当である。余談だが、PCの出現だって、インテルに日本の電卓メーカーが半導体の発注をして、論理設計に日本人がいなければできなかった、また航空機設計だって日本はスッゲー、絶対敵に回したくないって思わせたくらいだから、あの頃の両国が敵対したこと(もっと言えばハル・ノート交渉で大方妥結したように見せかけておいて日本を蹴っ飛ばしたこと)、これは合衆国最大の後悔だとそのうち言われるのではないか。しかも、終結に至る道は原爆まで使った世界史上類を見ない犯罪が絡むことになり、世界人類に対する罪である。

もしハル・ノート案が妥結していれば、今の中国もっと言えばロシアとの対立もないのでは、と思わせるくらい、あの頃の合衆国は道を間違えた、赤化していたのでは…と思ってしまう。中華とソ連に通じてしまったことはその後の合衆国に重い楔を打ち込むことになった。逆に日本と壮絶な海上機動戦を戦ったことは逆に災い転じて福となす、という言葉がピッタリとくる印象がある。

連合国の我が国の占領に至る経緯は『無血開城』に近い。本当に陸上戦になったら、お互いただでは済まない。残念ながら沖縄戦や硫黄島は守る側も攻める側も狂気に支えられた国家間戦闘であった。あれを列島でやればどうなるか。攻める側も責められる側もただでは済まない。日米だけではない。世界人類の損失とも言える。

また、勝手に無条件降伏しろと宣言(ポツダム宣言)しておきながら、開けてみれば有条件だった、というオチである。しかも、敵国でありながら、経済支援が必須であり(これは日本を降伏に追い込むにあたって無差別攻撃という破壊を行ったためではないか、その補償ととらえることができる)しばらくは受忍の時代を迎えるのだが、今のような円熟した時代を迎えると、日本国民は今の立ち位置がちょうどいいのでは、と思えてくる。国防も制空権も独立国のそれではないし、かと言って合衆国にすべて依存しているわけではなく、世界から見れば未だ有色人種が白人にケンカを売った唯一の国、さすがサムライ!みたいなところがある。そして、長年ボケたフリをしているが、ここで一発、ロシアからミサイルが飛んできたら、と思うと、多分瞬時のうちに国内世論は沸騰し、交戦しろ!、原子力で潜水艦とか爆弾とかつくれーってきっとなる。国が選択するならしょうがないとも思うが、道だけは誤ってもらいたくない。戦後、負けても日本の崇高な理念を発信し続けていること、これは素晴らしいことではないか。

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