2022年10月25日火曜日

JASRAC訴訟について

本来的にこのブログは経済ネタとか政治ネタが多いが、珍しく法律ネタをやってみたい。

JASRACという団体がある。なんで、か、わからないが私はこの団体が嫌いである。と言っても、どこか敬遠したいイメージ、程度だが。


理由としては、幼稚園児の頃買ってもらったレコードに『権利者の許諾なく』と訳のわからないことを書いていた、ということがそもそもの原因だったように思う。親父に、これってどういう意味?って聞いていたのを、昨日のような風景とともに思い出す。あれはもう半世紀前の風景なんだな…。


その後、そのわけのわからない団体は、私が音楽をやっていた頃に聴きも来ないのに、私の所属団体に『権利使用料』を請求していた覚えがある。まあ、私自身にはなんの請求もなかったが。


思うに、演奏はマネから始まる。確かに今回の裁判のように音楽教室で『権利』を主張するのはわかるし、今まで勝訴してきたのも当然の権利の主張として理解はするが、アマチュアのマネから金を取るのはいかがなものか。音楽教室では楽譜の入手から金を取っているので、練習に対して金を取るのは『二重取り』にもなってしまう。


まあ、今回のJASRAC の訴訟提起は将来の『権利者』にも心象は良くないだろうと思われる。音楽文化の健全な発達という意味では、最高裁の判決は支持できるものである。どんどん練習して、というメッセージがそこにはある。

できれば、音楽教室の権利料はかかるんだけどJASRACが実は負担します!っという考え方をJASRACがしてくれれば、音楽業界もJASRACも権利者も国民も納得した。今回は、先生の演奏のみかかるという判断だし、最高裁もそこは踏み込まねえよっと言うことだし、文句言えないのだが、正直なところ、JASRACに対しては「お手柔らかに」とみんな思っただろう。


さらに、著作権物の使用はフリーとし、配布から金を取るような考えの著作権者が今後登場するような気がする。JASRACは今後新しい著作権のかたちを研究していかないといけないんだろうな、とも思った。


2022年10月12日水曜日

熱海の盛土について

熱海市の市議会百条委員会の究明により、マスコミから伝わることと言えば、何故このような事態になったのか、という議論よりも、県と市で責任のなすり合いをしている、という図式に置き換えられてしまい、どれだけ真実を知りたい人に伝えられているか、非常に残念に思うところである。

被害を受けた方々も、そのあたりは理解しがたいものらしく、静岡県、熱海市を同時に訴えている。そもそも、規制行政の分野で、どれだけ行政は責任を取れるのかという疑問がある。民事上は管理者、施行者及び管理者が負うべき、というスタンスがあるが、規制の分野でどれだけ行政は責任を負えるのだろうか。今後の法律的議論は注視すべきものになる。 

もし、条例上過失がある、と判断するなら、国が立法化を怠った経緯がある、とも言われかねない。静岡県から言えば、国がやらないから仕方なく条例化しました、国が不作為です、という抗弁の可能性がある。また、熱海市は県切土条例の脆弱さを訴え、県の条例化の責任や指導監督の欠陥を指摘するだろう。

ただこの件については、熱海市側の技術者はこりゃ県だ、という。かたや県側の事務経験者は、なぜ措置命令を見送ったのか、と熱海市を責める。そもそも県条例の権限が弱すぎて、命令などできるのかという原始的議論から始まってしまう恐れもあるが、権限が弱くても措置命令の事実を書面に残しておけば、証拠づくりには役に立ったかもしれない。

ただ、私は盛土規制の議論から始めてしまうのは、この拙論では方向性が違う、としている。なぜなら、5条森林1haを超える違反行為があったのに、違反部分の緑化復元を指導したのみで、その結果1haを割り込んだから開発行為にはあたらない、と理解し難い判断を一方的に行い、あとは小規模林地開発と県切土条例の移譲先である熱海市に押し付け、このような事態を招いたように見えるからだ。ここで、森林法の申請許可が適用になっていれば県の切土条例は適用除外となった。ここで議論されること自体が無意味なこととなる。その結果、どこが一番やらかしていたか、ということを分析すると、『森林法』の運用が一番わかりやすいし、攻めやすいのではないか。

ローカルな切土条例を市に移譲したとして、その違反や刑事的な告発についても、市に移譲しているのだろうか。司法は市レベルの告発を是としているが、これは移譲事務に含まれない(あくまで私の推測である)ので、条例制定元の県にあるのでは、と私は思っている。なぜなら、違反のあった時点、未申請の行為自体が、移譲事務一覧に『書いていない』(これもあくまで私の推測である)のでから、というのもあるが、移譲事務は違反を前提としていないから、ということに尽きるのでは、と思う。移譲事務は当初、窓口業務だけ、という考え方だったのが、盛土については違反が頻発する中で市町が対応をなし崩し的に違反対応を行わざるを得なくなった。そんな状況ではなかったか。

県は面積が判然とせず、判断できなかったとも言っているが、森林法の立場から言えば伐根や行為の面積で十分判断できたはず、である。しかも、指導している事実がある。盛土は行為面積であるので、考え方に差があるのは当然であるが、県発表の時系列表からすれば、行為面積自体が1ha超えを認識していた。その中で、森林法は逃げ、盛土、しかも県が対応を丸投げした市で受けざるを得なかった。そうなると、熱海市は不十分な切土条例で精一杯の対応をさせられて、根拠が不十分なまま切土条例での措置命令を検討しその結果、措置命令が発出できなかった、と考えることもできる。もっと言えば、条例管轄元の県土木部門の応援も十分になかっただろう。基本的に切土条例は許可制でなく届出だけでOKだった。設計や施工に問題が発生した場合、勧告した後に問題になっている『措置命令』を発することができたが、これができなかった、ということはどういうことか。一つとして、権限移譲の範囲外だった、と理解できなくもない。例えば、1ha以上の森林法開発行為があった場合、告発行為の権限は私は市にあるとは思わない。これは、森林法の運用を任されている県が受け持つべきだろう。そもそも、言うことを聞かない業者だったなら、条例制定者として県が直接対応すべき案件ではなかったか。もっと言えば、県土木事務所と農林事務所とが森林法を発動するか、切土条例で対応するか、決めなければいけない事案だったと思う。

静岡県は不十分な条例を市町に押し付け、それで良しとしていた。それが熱海市のためになったかどうか。いや、わけのわからないもの、面倒なものの押しつけではなかったか。確かに、県の言う通り実績として事務のスピードアップや(県から見た)合理化には寄与したと認められるが、安全性や窓口の混乱をもたらし、責任の所在を不明確にさせるものであった。そういった意味で県の新条例は猛省の上に成り立ったものと思いたい。ただ、森林法の適正な運用については、言葉は非常に悪いが脱法行為に見えてしまう緑化の指導と林地開発適用の不作為については、どう説明するのだろうか。盛土面積が1haを超えた時点で林地から雑種地に転用されたとして、林地開発にすべきでなかったか。理由をつけてそうしなかったのだから、その理由を明らかにし、法律的に納得できるものかどうか検証する。これは今後争点にすべき話だろう。

さて、盛土の危機意識については、実はこの半年前に静岡県内の東部市町で共有されていた。まさに事故を想定した話であり、これがどれだけ県に伝わったのか。責める話で申し訳ないが、人命に関わる事態になって対応、では全く遅いのである。私としては、強い表現をしたが、二度とこのような事案を引き起こさないためにも、森林法の適正運用と権限移譲の抑制を本稿でも切に望んだところである。恐らく、この会議でも県はかなり責められたと思われる。それだけ、市町の危機感は高かったのだろう。

令和3年2月6日 静岡新聞