2010年10月9日土曜日

YMCA寮

1986年、昭和61年。私は横浜六角橋の商店街にいた。丘の上の団地の中にある公園に続く道を歩いていた。
御殿場市立富士岡幼稚園神山分園だった頃の時代、同級生であったM君が一緒である。奇遇にも幼稚園卒園後、12年経ってみたら、たまたまYMCAの寮で部屋が隣だった、ということなんであるが。卒園後、私は***へ引っ越しをして、M君はさらにその後沼津へ引っ越しをして12年後奇妙な再会を果たしたのであった。

幼稚園の同級生など、大人になってからはなかなか直感的に「あいつだ!!」と判断できる可能性は少ない。話を聞いているうちに、なぜか共通の記憶がちょこちょこ出てくる。もしかして…と思ったが、当のM君はほとんど幼稚園の名前など忘れてしまっていて、親御さんに電話をかけた際に幼稚園名を聞くように頼んでおいたら、やはり私と同じ幼稚園だった。夏に帰省したときに、幼稚園時代のアルバムから一枚の集合写真を持ち出し、寮生に回覧した覚えがある。

彼とはその道でいろいろなことを話していたが、前方を歩く女子高生をみて、『きれいだなあ』と勝手なことを言っていたのを鮮明に思い出す。
小学館ビックスピリッツ『めぞん一刻』が掲載中の頃の話である。なんとなく六角橋のこぢんまりとした、けど何でもある商店街は、めぞん一刻に出てくる世界と何となく似ているな、と寮生皆言っていた。
三年ほど前だろうか、ドラマ版めぞん一刻を見ていたら、冒頭、響子さん(伊東美咲)や宗一郎さんのお父さん(細川俊之)が一刻館までの坂道を上っていくシーンが映し出された。なんと、その坂道はM君と歩いていた坂道であった。六角橋がロケ地だったのか…。
YMCAの寮は木造三階建てで、貿易会社か造船会社の寮として使われていた、ということでおそらく戦後建てられたもの、と聞いていた。その寮自体、今はもうない。
それから24年経った。今は末の娘(3歳)がアニメ版めぞん一刻を見ている。上の娘なんて八神くらいの歳…。

0 件のコメント:

コメントを投稿